「夢の仕事」(h)と全体のまとめ

「夢解釈」(フロイト著 金関猛訳 中央公論新社)第六章「夢の仕事」の(h)「二次加工」のまとめと第六章全体のまとめを行います。まず、夢における二次加工とはどんなものか、文中より拾ってみました。「表面的に見ると、非の打ち所なく論理的で適正に見える夢が成立することもある。それらの夢はありうる状況から出発し、その状況に矛盾のない変化を加えてさらに進行させ、そしてーこんなことは滅多にないがー奇異ではない結末にまで至る。こうした夢は、覚醒時の思考に似た心的機能による加工を、最深部にまで受けたのである。それらの夢はある意味をもつように見える。しかし、その意味は、夢のほんとうの意味とは、実際まったくかけ離れているのである。それらを分析すると、ここでは夢の二次加工が何の制約も受けずに好き放題に素材を扱ったため、その本来の関係はまったく残っていないと確信できる。」ここでは一度解釈された夢に二次加工が施されることがあることを述べています。第六章全体のまとめでは、今まで論考してきた夢の仕事の要約が述べられています。少々長くなりますが引用します。「今、夢の仕事に関するこの広範囲にわたる論究の要約に取りかかることにする。私たちが直面したのは、心は、いっさい抑止を受けずに、その能力すべてを発揮して夢の形成に取り組むのか、それとも、その働きのうち抑止を受けた断片的な部分だけでそれに取り組むのかという問題設定であった。~略~夢を形成する際の心の仕事は、二つの働きに分かれる。つまり、夢の想念を作り出す働きと、それを夢内容に変換する働きである。夢の想念は完全に適正で、私たちにとって可能な限りの心の力を費やして形成される。夢の想念は、意識化されなかった思考に属しており、また、意識的な想念も、そうした意識化されなかった思考から、ある種の転化を通じて生じるのである。~略~夢の仕事は、覚醒時の思考とは質的にまったく異なっており、それゆえ、覚醒時の思考とはさしあたり比較しえないのである。夢の仕事は思考、計算、判断はまったくしない。それはただ作り替えのみに専念する。それによって産出されるものが満たさねばならない条件を注視すれば、そのことで夢の仕事について語り尽くすことができる。この産物、すなわち夢は、何より検閲を免れねばならない。そして、それを目的として夢の仕事は、心的強度のずらしを用いて、すべての心的価値を転換する。また、想念は、もっぱら、あるいはおもに視覚的、聴覚的な想起痕跡という素材のみによって再現せねばならず、そして、こうした要求ゆえに、夢の仕事は描出の可能性を顧慮せねばならなくなる。そして、夢の仕事はこれに新たなずらしをもって対応する。こうしたとき、夢の想念において夜中に提供されるよりもさらに高い強度が(たぶん)必要とされるのであり、それに奉仕するのが、夢の想念のさまざまな構成部分に対してなされる大規模な圧縮である。」

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