大型版画の思い出

横須賀美術館で開催されている「嶋田しづ・磯見輝夫展」を見てきて、とりわけ大型木版画を制作していた磯見輝夫氏の作品に、自分の若かりし頃の思い出を重ねてしまうことがあります。20代の頃、自分は大学で具象彫塑を学んでいて、その傍ら大型版画を作っていました。畳大のシナベニアを使って、具象的な人物像を彫っていました。版画といえども複数摺るものではなく、たった1点のみの制作で、言わば版を使った平面作品となっていました。ドイツ表現派のK・コルヴィッツ、R・キルヒナーや棟方志功、そして磯見輝夫氏等に影響されて、壁画のような効果を木版画によって作り出そうとしていましたが、暫く時が経つと気に入らなくなり、版画や版木は全て廃棄してしまいました。手元に残っている当時の作品はありません。師匠である彫刻家池田宗弘先生が丁寧に保管してくださっている木版画による絵本が現存する唯一の作品です。あの頃、評価をしてくださったお礼に、先生に贈った手製絵本で、数冊あったうちの一冊です。この絵本はオーストリアのウィーンでも展示したことがあり、また国立ウィーン美術アカデミーで教壇に立っていた芸術家F・フンデルトワッサーにも見ていただいた記憶があります。自分にとって大型版画は何だったのか、若い時代の感情の吐露だったのか、消えていった表現を再び思い出す機会を持てたことに、複雑な感情が交差しました。昨年はワインのラベルを作成する機会を持ち、久しぶりに木版画に挑戦しましたが、当時熱病のように作っていた木版画とは明らかに意識が異なり、ザクザクと版を彫ることは出来ませんでした。これから版画を試みるとしたら、銅版画をやってみたいと思っています。自己表現の変遷とともに忘却の彼方にある大型版画。たとえ脳裏を横切っても自分はもう当時の表現はしないし、出来ないと思っています。

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