フロイト流の戦争回避論

このところの国際情勢で気になることと言えば、北朝鮮の核実験や長距離弾道ミサイルの発射強行を受けて、米韓の軍事合同訓練の規模が大きくなっていることです。どうも近隣諸国の動きに目が奪われますが、人類史を精神分析の視点から捉えると、攻撃欲動の抑制が人間社会を支えてきたことになり、元々人間は戦争を起こす欲動を持っているというのがフロイトの理論です。先日読み終えた「フロイト入門」(中山元著 筑摩選書)の文を引用します。「社会が人間たちに求めるのは、こうした性的な欲望の抑圧だけではない。人間にそなわる別の深い欲望として、他者を攻撃し、破壊したいという欲望がある。~略~人々は社会のうちに生きながら、たがいに愛しあうエロスの欲動と、他者を攻撃しあう攻撃欲動の両方を満たすという困難な課題に直面することになる。」こうした人間の欲動をコントロールするためにはどうしたらよいのか、戦争を回避する道としてフロイトは以下のような提案をしています。「戦争による他者の殺害という破滅的な方法で発揮しない道も必ずあるはずである。『この欲動を別の場所に向けて、戦争においてその表現をみいださないようにすればよい』はずなのである。~略~一つは破壊的な欲動と対立するエロス的な欲動を育てることである。~略~第二の道は、指導者となる人々のうちに、『自律した思考をすることができ、威嚇されても怯むことがなく、真理を希求する人を養成する』ことである。~略~第三の道は、社会のすべての人が平和主義者となることである。フロイトは、文明が発展すると、知性の力が強まり、理性的に判断する人が増えることを指摘し、戦争というものに『体質的に不寛容に』なっている人が、そして戦争にたいして『生理的な嫌悪感』を感じる人が増えていることを指摘している。」これはフロイトが唱える戦争回避の道です。フロイトが生きた時代は、ナチスドイツによるホロコーストがありました。そんな時代背景の中で、フロイトが精神分析学を通して、戦争を回避するにはどうしたらいいのかを示唆しています。平和主義に関しては甚だ単純ではありますが、もっともな意見だと感じます。世界が第三の道に気づくのはいつの日か、ひょっとしたら永遠にないのかもしれません。それでも私はフロイトの意見を支持したいと思います。

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