「フロイトの欲動の理論」まとめ

「フロイト入門」(中山元著 筑摩選書)第五章「フロイトの欲動の理論」のまとめを行います。「超自我という審級は、第一局所論の意識、前意識、無意識という審級によっては説明することができないものである。~略~心の構造は新たに自我、エス、超自我という三つの審級で構成されるようになった。」これは以前のNOTE(ブログ)に書きましたので説明を省略させていただきます。「自我は現実を吟味して欲動の充足を抑える現実原則にしたがい、エスは欲動を満たそうとする快感原則にしたがうのである。~略~この二つの原則に対応する形で、初期のフロイトは自我として快感自我と現実自我を対比させ、欲動としては性欲動(リビドー)と自己保存欲動を対比させた。」これは初期の欲動論からの引用で、フロイトはこの頃に二元論を展開していました。「『わたしたちの心の中で作用する器官的な欲動はすべて〈空腹〉か〈愛〉に分割される』のである。そして愛の欲動を担う自我と、個体の維持のための欲動を担う自我を、それぞれ快感自我と現実自我として対比したのである。」これはもう一つ別の論点からの対比構造です。次は思考の発生に関する論考です。「思考が発生するのは、生体がつねに快感を満たすことができる状態からではなく、快感をみたすことに失敗し、そのような失敗を繰り返さないことを学ぶ過程からだということである。そしてこのような失敗の後に、赤子のうちに知覚と幻覚を区別する思考が発生し、赤子は思考する主体となり、そこに自我が発生していると考えることができる。この自我が、現実性の判断を下すようになるのである。」その後、性欲動と自己保存欲動の二元論は崩壊し、「死の欲動」が登場します。その契機となったのが第一次大戦における戦争神経症によるものでした。最後の引用です。「病気などの何らかの理由があれば、対象に向けられたリビドーは、自己に戻ってくると考えられた。この自己に向けたリビドーは、自我欲動と同じものだと考えられる。すると性欲動と自我欲動は同じものだと言えるだろう。欲動は二元論ではなく、一元論にまとめられたのだった。」今回もNOTE(ブログ)は引用ばかりになってしまって論点が定まりませんが、自分なりのまとめとしてアップしたものです。ご容赦いただければと思います。

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