「夢解釈」執筆の動機

「夢解釈」(フロイト著 金関猛訳 中央公論新社)を中断して、現在「フロイト入門」(中山元著 筑摩選書)を読んでいるところですが、いよいよ「夢解釈」をテーマとする第三章に入ってきて、フロイトが「夢解釈」を書き始める動機がわかってきました。まず夢とはどういうものか、文中から引用いたします。「神経症は想起することが不愉快な心的な外傷の記憶と、それを抑圧しようとする意識との葛藤が、身体的に症状として表現されたものだった。失錯行為は、無意識のうちに抑圧された欲望が作りだすコンプレックスと、それを抑圧しようとする意識との葛藤が、日常生活のうちに作りだす現象だった。そして夢は、わたしたちが無意識のうちに感じている欲望と、それを抑圧しようとする意識の間で、一つの妥協として作りだされるものである。」そんなことを念頭に入れて、フロイトが試みたことは自己分析でした。ところが、「自己分析というのは、精神分析においては困難な問題を提起する。~略~無意識のうちに抑圧されているものは、自分が意識したくないために抑圧されているのであって、それを自分で意識のうちにのぼらせるのは困難なことである。精神分析は原則として、分析者と被分析者との対話のうちで初めて成立する営みである。フロイトはそこで、自己に精神分析を実行して自分の無意識を直接に分析することを諦めて、無意識の表現である夢を分析することにしたのである。」というフロイトが辿った精神分析のひとつの試行結果として夢の解釈を始めたのでした。「フロイト入門」を読み終えれば「夢解釈」の再読を始めますが、執筆の動機がわかったことは、自分には意義があることだと思いました。

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