雛型か缶詰彫刻か?

先月、見に行った神奈川県立近代美術館葉山で開催中の「若林奮 飛葉と振動」展で、気になった作品群がありました。同展は特異な思考を具現化した彫刻家の全体像に迫る内容で、初期の鉄を用いた作品から晩年の庭の造形に至るまでの、一彫刻家の思考過程がよく分かる展示になっていました。刺激的な作品を残された若林先生は自分の学んだ大学の教壇に立っておられましたが、直接先生の指導が受けられなかったのが自分には残念でなりません。そんな独特な若林ワールドの中で、私は今回の図録に説明のない小さなオブジェについて、NOTE(ブログ)で取り上げたいと思います。小さな缶の中に納まっている鉄や木材は彫刻の雛型とも言えるし、また持ち運びの出来る小さな彫刻ともいえます。「100線」とか「新100線」というタイトルがつけられていますが、タイトルは何を意味するのでしょうか。缶の中の素材の配置や構造は随分考え抜かれた感じを持ちます。作家本人にとっては意味を持つものだろうと思いましたが、鑑賞する側にも謎解きを強いているようで、奇妙な面白みがあるのです。缶の中で閉鎖感をもって存在する作品は、作家の嗜好とも言える封じ込めた造形世界にも通じています。蓋をしてしまえば見えなくなってしまう造形は、地下に埋めたり、金属板で造形を覆ったり、痕跡を残した金属板を重ねたりして、全体を見えなくする若林ワールドの独特な思考が、この小品にも共通しているように思えます。果たして「100線」シリーズは雛型なのか、小さな彫刻なのか、その両方の役割を担っているのか、この小宇宙に刺激を感じるのは私だけでしょうか。夥しい数のドローイングに呼応するように「100線」が作られていて、缶の蓋に番号がつけられているのを見るにつけ、作家が自分の記録として、こまめに作っていたことだけは確かなようです。RECORDを日々制作している自分にとって、番号の意味するところやこのサイズにした動機などが知りたいと思いました。

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