コミュニケーション・ツールとしてのアート

私が所属している研究会で、アート作品が都市計画の中に進出していく状況を、自分の挨拶の中で述べることにしました。私が幼い頃は、大人に美術館に連れて行ってもらって、抽象作品に触れていました。それだけでも子どもの私には、作品の前で首を傾げるほど不思議な体験になっていました。落書きのような作品、画面を汚しただけのような作品が、何故美術館にあるのかという奇妙さが印象に残りました。私の周囲では抽象作品の解説なぞ望めるはずもなく、そんな気持ちを抱えたまま高校生になり、美術を専攻する道を選んだことで、漸く抽象作品の抽象たる所以がわかってきました。私が大学で彫刻を学んでいた頃に、私の師匠を初めとする多くの彫刻家が、立体作品を美術館ではなく、都市計画の一部として街角に据えることをしていました。欧州の街には広場があって、そこに抽象彫刻が数多く置かれています。そんな街作りが日本でも始まってきたと言うべきでしょうか。大衆の前に突如現れた作品は、ステンレスや硬化プラスティックの単純化されたシャープな形態が多く、それらオブジェが街の景観を映し出し、野外を取り込んだカフェや洒落た店舗と相俟って素敵な都市生活を演出しています。最近では街の風紀を変えるため、アートを取り入れた街作りが進んでいます。地方の活性化にもアートが一役買っています。コミュニケーション・ツールとしてのアートが定着しつつある現状を踏まえつつ、私たちは次なる造形的かつ空間的提案をしていくべきかなぁと思うこの頃です。

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