夢における記憶について

今読んでいる「夢解釈」(フロイト著 金関猛訳 中央公論新社)は睡眠中に見る夢を学術的に研究するもので、夢の内容に何らかの要因が考えられるとするフロイトの見解を著した書籍です。夢には当然個人差があって、自分はあまり夢を見ません。あるいは夢を見ていても起床とともに忘れてしまっているのかもしれません。たまに夢の内容を覚えている時に、朝になって夢の情景を辿ると、荒唐無稽な筋書きであったり、登場人物の関係が曖昧だったり、人に説明するのもままならない破天荒なものだったりして、不思議な気分にさせられます。自分には強迫観念がどこかにあって、何かに追われている姿や、空中を浮揚している姿があったりします。既に他界した人が普通に登場して、自分と会話する場面もあります。夢は脳内に蓄積された記憶の断片が突如現れてくるのでしょうか。美術評論家だった故瀧口修造氏は寝床の近くにノートを置いて、見た夢の記述を試みたとどこかで書いていました。シュルレアリスムの作家たちは、夢を主題にして奇妙な世界を具現化しています。シュルレアリスムにとって理屈が通らない夢の世界は、まさに主題そのものだったに違いありません。「夢解釈」の冒頭部分に、夢における記憶を記した箇所があって、興味のあるところを引用します。「夢の記憶には、日中の体験のなかで、些末で、それゆえまた注目されなかったことを好むという奇妙な傾向がある。そのため、夢が日中の生活に依存していることがまったく見落とされたり、また少なくとも、個々の場合すべてにそうした依存があるという立証をするのは困難にならざるをえない。」その日の覚醒した意識の中で強い印象を受けたものより、寧ろ他愛のない些細なものの方が、夢に登場してくる場合が多いと本書は書いています。ここからまさに夢の解釈が始まるのです。

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