「風景の無意識 C・Dフリードリッヒ論」読後感

「風景の無意識 C・Dフリードリッヒ論」(小林敏明著 作品社)を読み終えました。ドイツ・ロマン派の画家C・Dフリードリッヒの絵画を中心に据え、それを契機に哲学・文学・医学等のドイツ思想を横断的に論じた本書は、美術評論と言うよりドイツ精神そのものを論じていて、とくにドイツ哲学に傾倒しつつある自分にとっては感覚を擽られる魅力溢れる書籍でした。とりわけハイデガーとフロイトの共通した思索を探る箇所に、最も惹かれてしまい、今年はフロイトに親しむ宿命かなぁと思ったりしています。本書の主題となる一文を引用いたします。「ロマンティクはあくまで近代の現象であると言ってよい。それは近代以前の宗教や神秘主義の中にあった非合理主義とちがって、あくまで合理主義を多分に意識したカウンター運動ないし近代批判の運動だからである。ゲーテの色彩論やシェリングの自然哲学に見られたように、それらは当時の先端科学を無視したものではなく、むしろそれと積極的に対決するところから生まれてきたものであった。~略~思想史の観点からフロイトやハイデッガーが面白いのは、まさに彼らがそのような本来表現困難な反合理を精神分析とか存在論といったそれぞれ独自の言説体系にまで創り上げたからである。~略~それらはいずれも既成の『科学』や『哲学』というディシプリンに収まらない。しかし、それゆえにこそそれらのディシプリンに大きなインパクトを与えたのである。」加えて結びの一文を引用して本書の感想としたいと思います。「一方で反合理のカウンター運動としてのロマンティクの積極的な意義、とりわけそれに孕まれているオールターナティヴな知を生み出す可能性、~略~フリードリッヒの絵画表現のような、そこに生まれた特異な美的感性を、それはそれとして受け入れつつ、他方でそのカウンター運動の、いわば歴史的無意識のようなものが現実政治の場においてもたらす結果やそれに至る機制をわれわれ自身の反省のよすがにしてみることが大事であると著者は考える。」

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