「詩は恥ずかしい」に共感

「『詩とことば』という本の中で彼(荒川洋治)は『はずかしさ』について語っています。話はまず人が歌をうたうことを『はずかしい』と思わないことの不思議さから始まります。~略~曲があると、この恥ずかしさは減る。曲のせいにできるからです。制度のせいにすればいい。自分が過激なのではない。曲があるから仕方なくそうしているにすぎないのである。では、詩の場合はどうか。詩には曲がつかない。~略~歌だって恥ずかしいのに、曲がない詩はもっと恥ずかしい。何しろ『いつものその人とちがう。日常をはずれている。反俗的なものである。もっといえば過激である』のです。」現在読んでいる「詩的思考のめざめ」(阿部公彦著 東京大学出版会)にこんな一文がありました。まさにその通り、詩は恥ずかしいのです。それを高校時代から自分はずっと思っていました。でも自分は詩が好きで、無骨な男子が表立って詩を読んでいるという妙な世間体もあって、人に隠れて密かに詩を読んできました。だから詩を書くなんてことは羞恥の極みみたいなものです。でも詩が書きたい、書けるようになるといいなぁと憧れています。ホームページに造形作品を掲載するようになって、その端の方にコトバを添えています。詩と言わないのは恥ずかしさ故ですが、まさにそんな自分の心情を本書は言い当てていると思っています。

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