「存在と時間 」全編の読後感
2014年 11月 27日 木曜日
「存在と時間 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)を読み終えました。夏から読み始めた大作でしたが、読書が通勤時間に限られていたこともあって、読破に数ヶ月もかかってしまいました。おまけに初めの頃は数行読んでまた戻り、また数行読むという繰り返しで、語彙の理解咀嚼に多くの時間を費やしました。読み終わっても簡単にまとめることは到底出来ず、存在と時間に関する哲学的な学術解釈を認識できた程度に留まっています。最終章に触れておくと「これまでの諸考察の課題は、現事実的現存在の根源的全体を本来的に実存すること、および非本来的に実存することの可能性に関して、根源的全体の根拠から、実存論的・存在論的に学的に解釈することであった。こうした根拠として、したがって気遣いの存在意味として、時間性があらわになった。」とあります。ただし、最後の一文は「根源的時間から存在の意味へと一つの方途が通じているであろうか。時間自身が存在の地平としてあらわになるのであろうか。」という次へのステップとも言うべき問いかけで終わっています。「存在と時間」は以前のNOTE(ブログ)で示した通り、未完の大作であって、全三巻で述べられた第一部に続く、次なるステージとして第二部が待たれるところでした。著者ハイデガーは既に他界し、この問いかけは宙に浮いたままの状態になっているのが、大作「存在と時間」の特徴とも言えます。たとえ未完であっても本書は20世紀を代表する哲学書であることに変わりありません。
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Tags: ドイツ, 書籍
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