存在論としての歴史性

「存在と時間 Ⅲ 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)の後半部分に「歴史性」が登場してきます。「歴史性自身は、時間性から、しかも根源的には本来的な時間性から解明されるべきであるとすれば、この課題の本質のうちには、この課題の現象学的構成という方途をたどってのみ遂行されうるということ、このことがひそんでいる。歴史性の実存論的・存在論的機構は、現存在の歴史の隠蔽的な通俗的解釈に逆らって奪取されなければならない。」という一文が示すとおり、ここで述べられているのは、あくまでも存在論における歴史性なのであって、歴史学ではないということです。歴史学における捕捉認識や歴史的叙述の概念は、学問としての客観に定位しているので、歴史性の実存論的・存在論的機構にあっては、寧ろ「邪魔物を取り払う」(文中語彙引用)ことで考察を続けられると記されています。いよいよ「存在と時間」も終盤に差し掛かってきました。存在論としての視点が解るようになり、自分は「生誕と死との間の現存在の伸び拡がりの純正な存在論的分析」(文中語彙引用)というコトバがとても気に入っています。

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