ボイス世界観の再考

先日見に行った「ヨーゼフ・ボイス展」が契機になり、改めてボイスの世界観を考えてみたいと思います。ボイスに関することは過去何回かNOTE(ブログ)にアップしていますので、今回は再考とさせていただきました。20世紀の美術史を振り返って見ると、芸術の価値転換を図った芸術家を何人か思い浮かべることが出来ます。たとえば芸術を成立させる制度を変えたM・デュシャン、消費社会におけるポップな芸術を推進したA・ウォーホル等々ですが、ボイスの芸術変革は彼らとは次元が異なるように思えます。ボイス研究家の山本和弘氏の文章で次のような箇所があります。「ボイスが用いる素材は~略~徹底的に私たちの日常の生活の中にありふれたものである。~略~これらの有用性は、当然のことながら日常の生活において消費され、打ち捨てられて終わる機能ではなく、それらの機能性の究極の目的である本来的な道具性、つまり、より良く生きることにかかわることの顕在化が全てのボイスの作品で図られている。」この文章を読み解く上で自分の頭を過ぎったのは、現在読んでいるハイデガーの「存在と時間」です。存在そのものを思索した哲学書とボイスの関連は、そう易々とできるものではありませんが、ボイスの行為の意図に何か存在的なものが潜んでいるようにも思えます。突き詰めていけるような思考を自分は持ち合わせていないのが残念です。

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