「アーレントとハイデガー」読後感

「アーレントとハイデガー」(エルジビェータ・エティンガー著 大島かおり訳 みすず書房)を読み終えました。本書は20世紀を代表する哲学者M・ハイデガーと彼に師事したH・アーレントに関する1920年代からアーレントが没する1975年まで2人の関係を描いた小冊子ですが、出版後の反響はかなりあったようです。2人の間で交わされた往復書簡が未公開だったことや、哲学者同士の関係を低俗なメロドラマにしてしまった批判など様々な論争がありました。訳者あとがきにある「思想家の秘められた私的な行為や人間関係はそもそもその人の思想とどこまで関係づけて見られるべきものなのか、偉大な思想家にもひそんでいるだろう人間的弱さや傲慢さや醜さは、その人の思想そのものの評価とは切り離して考慮されるのが妥当なのか」という問いかけが本書を締め括る訳者からの言葉になっています。文中からそうした内容を拾ってみます。「ハイデガーは情事をはじめたとき、アーレントへの最初の手紙から明らかに見てとれるように、先見の明をもって彼女の教師としての自分の立場と成熟した歳の重みを利用し、少なくともある程度は、彼女のうぶな心と、彼の知性や男らしさが彼女にとってもつ圧倒的な魅力を、計算に入れていた。」「どう見てもハイデガーは、少なくとも因襲的な意味では攻撃的な男ではなかった。しかし自分の家庭と履歴を危険にさらすことも辞さずにハンナを追い求めた彼の姿勢は、力ずくの自己中心的な性質と、無慈悲にも狡猾になれる能力とを示している。」そのうちナチスが台頭し、アーレントは米国に亡命します。ハイデガーはナチ党に入り、悪名高い学長演説を行っていきます。「ハイデガーは妻の協力のもとに、ナチ・ドイツでの彼の十二年間記録を弁護し正当化すること、というよりむしろ人生のその時期を再解釈し、書き変え、再創作することに没頭した。」「ハイデガーは自分の過去を改変したかっただけでなく、賞賛と崇敬も欲しかった。」ユダヤ人であり、米国在住の著名な学者となっていたハンナ・アーレントは、それでも民族やイデオロギーを超えてハイデガーを擁護していました。そこに理解が及ばない研究者がいても不思議ではありません。最後にアーレントの心境を描いた一文があります。「彼に『誠実でありつづけるとともに不実でもあった』、そしてそのどちらも『愛ゆえ』であった、そういうアーレントを、彼は知らないままだったのである。」

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