「大いなる沈黙へ」鑑賞のねらい

ドイツ人監督フィリップ・グレーニングがたった一人で挑まざるを得なかった「大いなる沈黙へ」はその独自性、異色性で際立つ映画です。フランスの山奥に今も存在するグランド・シャルトルーズ修道院。まるで中世にタイムスリップしたかのような佇まいで、厳粛で神聖な空間に導かれ、現代社会の過多な情報を全て削ぎ落とし、神のために生涯を捧げた修道士たちの端正な生活を描いています。撮影許可が下りるまで16年待ち、さらに準備に2年かけて、漸く映画を撮る運びになったら、ナレーションなし、照明なし、劇伴音楽なしで、修道院に入れるのは監督一人だけという条件が提示されました。これで映画になるのかと監督は自問自答し、映画を修道院そのものにしてしまう以外にどんな方法があるのだろうと結論を出したようです。監督は修道士と同じ生活をして、スーパー8と35ミリ双方を使って隅々まで丁寧に撮影し、さらに編集に1年をかける入念さで「大いなる沈黙へ」は完成しました。自然光だけの映像、鐘の音、修道士たちの廊下を歩く足音や朗々たる聖歌、畑を耕す音、食器の音、秘めたる祈りの声、鳥のさえずり、日曜日だけ許されたハイキングでの仲間との会話と家族の面会、映画のラストに老修道士による死を迎える喜悦の語り等々が、映画全編に漲り、静かで確かな説得力を持って自分を魅了しました。2時間49分という長い静寂に満ちたこの映画に、自分は創作への思いを重ね合わせ、映画の中で瞑想し、心を研ぎ澄ませることを目的のひとつにしました。監督がインタビューに答えている記事に「こちらの世界でも芸術家が似たような暮らしをしているのを見たし、映画製作者としての私自身の生活もそうだ。私は、人が自分がしたいことのために多くのことを犠牲にし、それをどのようにしてかたくなに遠ざけるのか、ということに興味を持っている。こちらでも修道院でも、人は集中や感じ方や、行動の意味などの概念と向きあっているのだ。」という箇所があります。まさに自分の鑑賞のねらいはそこにありました。

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