「種村李弘の眼 迷宮の美術家たち」展

先日、東京の西高島平にある板橋区立美術館に行き、表記の展覧会を見てきました。故人である種村季弘は、私が滞欧中に親しんだウィーン幻想絵画を取り挙げた文学者で、深層心理に働きかけをするドイツ・オーストリアの芸術家を日本に数多く紹介した評論家としても知られています。当時ウィーンの有名画廊のウインドウを飾っていたE・フックスやK・コーラップの版画を見て、その摩訶不思議な世界に惹かれた私は、帰国後に種村の評論に触れて、さらに多くの奇想作品を知りました。今回の展覧会は、種村の鑑識眼による作品の数々が若い頃の自分に取り憑いていたことや、今も脳裏を過ぎる作品世界に再度浸る機会を与えてくれました。図録にあった文章を引用します。「多くの著作が、文学・美術・映画等の批評、伝記文学の体裁をとりながら、その下層に自身の心情、ときには折々の世界の事象と人間の在り方に対しての考えを忍ばせている」(柿沼裕朋著)という種村の著述姿勢が評され、また種村自身による生い立ちが掲載されていました。戦後の焼け跡で口にした食糧で急性盲腸炎を起こして入院した独白の場面で「身動きのできない私はといえば、私は極度の不自由さのなかでかえってある種の透明な漂遊感にひたされていた。部屋全体が水底に沈み、曳光弾が閃めくたびに深海の光景が一瞬明るむ、そんな環境のなかを漂っているという感じである。~略~私はカフカの『変身』を読んで同じようなシテュエーションに遭遇した。『変身』の主人公は甲虫になって鍵のかかった部屋のなかでしだいに衰弱していく。部屋の外には彼が脱けたために混乱してドタバタ喜劇のようにドアにぶつかり怒号を発しながら解体していく外界。そのなかで怖ろしい甲虫に変身してのろのろと這い回るザムザは、あるくつろいだ安らぎにさえ達している。」とあって、その種村流と言うべきユニークな世界観が早くから形成されていたことが分かりました。

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