「存在と時間」におけるデカルト&カント批判

「デカルトは実体性に対する存在論な問いを総じて回避しているばかりではなく、彼が表立って強調しているのは、実体そのもの、言いかえれば、実体の実体性は、それ自身に即してそれ自身だけでは、あらかじめ近づくことのできないものだということである。~その後デカルト著「哲学の原理」より引用文が続くが、略する~『存在』自身はわれわれを『触発する』ことがない、このゆえに存在は認知されえないというわけである。カントの言うところによれば『存在は、レアルな、つまり事実内容を示すような述語ではない』のだが、これはデカルトの命題を言いかえたにすぎないのである。かくして存在の純粋な問題性というものの可能性が原則的に断念され、一つの逃げ道が求められ、さらに、そうした逃げ道をたどって諸実体の前述の諸規定が獲得されることになるのである。」文中にあるレアルとは事象内容に属しているもののことです。諸実体の前述の諸規定とあるのは引用文の前段階で論述されたデカルトの存在論のことです。「存在と時間Ⅰ」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)は、存在そのものを綿密に解き明かすもので、デカルトやカントの存在論に触れる箇所が度々あります。「存在と時間Ⅰ」は存在全てに亘る論考の中で、存在究明におけるデカルトやカント哲学に対する批判が述べられています。ハイデガーは過去の哲学によって規定されていた概念を覆し、存在そのものの問い直しを図るため、基盤から再構築する膨大な理論展開を試みています。

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