「存在と時間Ⅰ」起論動機

既に読み始めている「存在と時間Ⅰ」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)は、手応えのある哲学書であることは承知していましたが、実際に読んでみると、存在の意味を問う我々自身の存在をまず考察するところから始まっていて、存在そのものを根本から捉え直す論理に奥深く付き合わなければならないことで、まず語彙の意味するものと同時に既成概念が剥ぎ取られる面白さを感じます。「存在と時間」の起論動機はプラトンのこんな言葉から始まっています。「…トイウノハ、君タチガ『存在スル』トイウ言葉ヲ使ウトキ、イッタイ君タチハ何ヲ意味スルツモリナノカ、以前ニハソレヲワカッテイルト信ジテイタイノニ、イマデハ困惑ニオチイッテイルノダ。…」(プラトン著「ソフィステース」)それに続くハイデガーの言葉です。「いったいわれわれは『存在する』という言葉で何を意味するつもりなのか、この問いに対して、われわれは今日なんらかの答えをもっているのであろうか。断じて否。だからこそ、存在の意味への問いをあらためて設定することが、肝要なのである。」というのがハイデガーにして「存在と時間」を書かせた動機です。「存在」という概説としてわかっていても、究極的には何もわかっていないものを根本から問い直し、論考していくのが本書です。起論意図となる概観を述べた序論を現時点で読み終わり、今は現存在の学的解釈と時間の究明という枝葉的で詳細な論考に入っています。最後の頂まで辿り着けるのか些か不安を抱きながら、大きな山を見上げて麓あたりを一歩ずつ登っていく感覚です。

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