ヒトラーの都市

都市に纏わる論考が続きますが、「視線とテクスト」(多木浩二著 青土社)の中に次々と自分の興味を掻き立てる箇所が出てくるのでご容赦願います。ヒトラーと言えば20世紀の独裁者として最大の禍根を残したことで有名です。そのヒトラーが政権の担い手として登場してくる背景は「言語都市・ベルリン」(和田博文・真銅正宏・西村将洋・宮内淳子・和田佳子共著 藤原書店)に掲載されていて、当時の情景を想像しながら私は興味深く読みました。当時ヒトラーが政治的威力をモニュメンタルな建造物を通じて表示したいと願っても不思議ではありません。「ナチズムは男性原理だけから成っていた。以前に指摘したように『原都市』とはもともと女性的なものを原基に成り立っていたのである。そこにさまざまな時間的、空間的象徴をうみだすことで『都市』は姿を現してきた。この女性的なるものは、大まかに無意識と言い換えてもいい。とすれば『ヒトラーの都市』は、ある瞬間、もっとも『都市』から遠い虚構になるわけである。巨大性症候群とよんだものは、むしろこの無意識から、都市をできるだけ引き離す虚構化の仕掛けであったかもしれない。~略~ニューヨーク・タイムズの記者は『筆舌につくしがたい美しさ』を讃えたが、この恍惚は抑圧された衝動の現われという、ある意味ではグロテスクなものにほかならない。~略~ほんとうにグロテスクなのは、大衆とヒトラーとのあいだに成立する関係であろう。~略~ヒトラーは救世主のように現われ、イエスかノーかという単純な答えでしか応じられないような問いを投げかける。それにイエスかノーで応答するにつれて大衆はひとつになる。~略~ヒトラーが聖書のレトリックを巧みに使ったとしても、救世主というより、むしろ、殺された原父の記憶によびかけているようには見えないだろうか。~略~ヒトラーがいかにおぞましかろうと、それは伝統を一歩も出ていないのであり、その父性原理を内部からもっともグロテスクに戯画化したとは言えないだろうか。ヒトラーの都市はある意味で西洋の都市に潜んでいたものではないか。」

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