ニーチェ流生きることへの肯定

「ツァラトストラかく語りき」(ニーチェ著 竹山道雄訳 新潮社)の平易な解説書は既に読んでいますが、注目したい箇所があるので引用します。「そもそも、なぜルサンチマンは『よくない』のでしょうか?ルサンチマンとは『無力感から生まれる復讐心』のことですが、~略~まず第一に、それは『自分が人生の主人公であるという感覚』を失わせる。~略~さらにもう一つ、『みずから悦びを求めて汲み取ろうとする力』を失わせる。~略~ニーチェはほんとうに苦しい目に遭ってきた人なので、この問題をすごく自覚的に捉えていたと思います。ルサンチマンの自覚を深めていくと、『自分はちょっとだめになっていた。前向きのパワーを失って不平がましくなっていた。ルサンチマンに負けていた』と気づく。」そこで能動的に生きるためにはどうしたらいいのかを考えていくことになりますが、こんな文面もあります。「たしかにニーチェは『しかたなく、ではなく欲するにせよ。』と説いていました。しかしすぐにはこの状況を受け入れられないのであれば、呪って叫ぶしかないし、そのほうがむしろよい。自分のルサンチマンをごまかしたり押さえつけたりするくらいなら、自分がこれを受け入れられないことをハッキリと認めよ。そして、叫べ、呪え、というのです。」「ツァラトゥストラ」(西研著 NHK出版)つまりこれが生きることへの肯定、または永劫(永遠)回帰の真髄と捉えてもよいと思います。

関連する投稿

  • 「中空の彫刻」読後感 「中空の彫刻」(廣田治子著 […]
  • 「《逸楽の家》」について 「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第6章 タヒチからマルケーサスへ(1895~1903年)」の「3 […]
  • 「結語」について 「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「結語」の「1 木彫と陶器」「2 親密な環境における彫刻」「3 […]
  • 「状況-思考の神秘的内部を表すこと」について 「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第6章 タヒチからマルケーサスへ(1895~1903年)」の「1 […]
  • 「文化的総合」について 「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第6章 タヒチからマルケーサスへ(1895~1903年)」の「2 […]

Comments are closed.