終焉までの道のり

現在哲学書を読み耽っているので、こんなことをテーマにしたわけではありませんが、どんなに贖ってもどんなに嫌がっても人には必ず死が訪れます。死を終焉として意識するのは動物の中で唯一理性をもつ人間だけです。そのせいで人は儚い運命を受け入れ、かかる時間を人によっては芸術に費やしたり、宗教に救済を求めているのではないかと思うのです。最後の日はいつ訪れるのか誰にもわかりません。終焉が近づくと、きっと自分だけには予感があるのかもしれないと思うことがあります。芸術家が残した絶作を見ると、不思議なことに最後の雰囲気が漂っているからです。生命の一滴を作品に込めて旅立っていく情景が伝わります。ところで自分は彫刻を作りながら今は哲学書を漁っています。これは何がしか自分の人生との因果関係があるのかもしれないと思っています。決して意図してやっている訳ではありませんが、人が限りある生命を生きていくために、また刻一刻と終焉に向かって生きている現状を考えると、自分にとって必要不可欠なものが芸術であり哲学と思うからです。ですが、まだまだ自分は終焉を実感として意識できません。将来を描けているうちは、自分は生きていけるのだと思っています。彫刻はまだ答えが見つからず、哲学は学ぶことに懸命で、本質が自分の中に取り込まれていません。宗教を持たない自分は芸術が全てです。そこに生きる意義を見出し、生きた証を残そうとしています。こんな自分ですから、終焉までの道のりがこれから長くあってほしいと願うばかりです。

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