素材を感じさせない表現へ向けて

胡弓奏者である家内が、演奏していく上で楽器の音を感じさせるようでは駄目だとよく言っています。楽譜を辿っているようでは、まだ演奏の域ではないということです。演奏家の曲想があって、さらにその音環境から情景や物語が創出されていくのが理想なのだと家内は言いたいのです。優れた音楽会で感じる何とも言えない情感は、そうした音楽家の研鑽と感性から生まれるものでしょう。美術の場合はどうかと言えば、素材を感じさせない表現になるのではないかと思います。自分はイメージを具現化するために陶彫という素材を用いています。作品が陶彫を感じさせないくらい確固たるイメージの表出があれば、つまり頭の中で作品を思い返した時に素材ではなく作者が作ろうとした何かを表現したモノになっていたら、その作品は成功しているのではないかと思うのです。素材は素材に過ぎません。その素材に振り回されていてはならないと思いつつ、週末には陶彫の技巧的な難しさと闘っている自分がいます。素材を感じさせない表現に向けて努力あるのみです。

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