振幅の大きい存在

今読んでいる「ボイスから始まる」(菅原教夫著 五柳書院)には興味が惹きつけられる箇所がたくさんあります。抜粋すると「ヒトラーとボイスには確かに似ている面がある。前者は第一次大戦がもたらしたドイツの荒廃から現れ、後者は第二次大戦の焦土から立ち上がり、社会を導こうとした。その意味で、いずれもがドイツのカリスマであり、ドイツは常にカリスマを求めてやまない国家である。現代美術がやらなければならないのは、むしろこうしたカリスマへの盲目的信仰に対する批判でなければならないのに、といったボイスに対する批判もそこから出てくるのだが、しかし二人の間には決定的な違いがある。すなわちヒトラーは社会を〈冷やす〉邪悪な父であり、反対にボイスはこれを〈温める〉優しい父である。」「ボイスが主張する社会は、自由で民主的な社会主義の国である。それは西側の資本主義とも、東側の社会主義とも異なり、むしろその間に第三の道を求めていく点で、社会民主主義の理念に近いと言えたかもしれない。」「文化の土台を形作る宗教がキリスト教か、それとも仏教かの問題は、シュタイナーを通じて人智学を知り、宗派を超えた霊性の復活こそを最重要視するボイスには、何の障害にもならなかった。彼はとにかく西洋の文明が物事の分析に終始してきたと批判する。」以上3つの文章を書き出しましたが、いずれもヨーゼフ・ボイスの存在感の大きさを示すもので、一貫性のある内容ではありません。むしろ一貫性をもって語れないところがボイスだなぁと思います。それほどボイスの活動が多義に亘っていた証拠で、極めて振幅が大きい存在に対し、どういう捉え方をしたらいいのか考えているところです。こんな文章もありました。「ボイスを書くことの難しさというか、とまどいは、一つのテーマに絞って書こうとしても、関連するテーマがどんどん芽吹いて枝分かれし、その引力に引っ張られて叙述がさまざまな方向に向かい、全体が混沌としてくることだ。それだけボイスの世界は網目状に方々に通じているということだろう。」

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