私の中のヨーゼフ・ボイス

現代美術を考える上で、自分の中では知名度ばかりが独り歩きをしていて、作品に込める哲学やその具現化等の実態を知らない巨匠のひとりがドイツ人芸術家ヨーゼフ・ボイスです。私が渡欧した1980年当時はドイツのデュッセルドルフ芸術アカデミーの学内にボイスが主催する自由国際大学がありましたが、ドイツ語に疎かった自分は同大に入ってもボイスの理論を理解できないのではないかと思い、旧態依然とした西欧臭の残るオーストリアに留まることにしたのでした。当時は前衛を体感するというより、日本人である自分の存在を外側から問いたいと考えていて、敢えて保守的な国を選びました。国際的な活躍の場を求めることを渡欧目的とはしていなかった当時の自分は、西欧発信の現代美術には眼を瞑っていました。それでも時として現代の芸術情勢を知りたくなって、前衛的な作品を扱う画廊に立ち寄ることもありました。ボイスの作品は厚手のフェルトが置かれた空間があったり、チョークで書かれたドイツ語の黒板があったりして、それらが何を意味しているのか理解できず、ボイス自身が行うパフォーマンスを見なければ、自分の中のボイス観が始まらないと思っていたのでした。今回読み始めたボイスに関する書籍「ヨーゼフ・ボイスの足型」(若江漢字 酒井忠康共著 みすず書房)は、自分にとって初めてのボイス論です。ボイスが世を去ってから知る芸術哲学、遅ればせながらボイスの存在を心に刻みたいと思っています。

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