小冊子「魂の場所」

先日出かけた長野県軽井沢で、久しぶりに訪れたセゾン現代美術館で見た「魂の場所」展。この企画展にはどんな意図があるのか、収蔵作品を選んだ理由が知りたくて、売店で小冊子「魂の場所」(三浦雅士著 セゾン現代美術館)を購入しました。50頁の冊子なので2時間ほどで読み終え、改めて展示作品を思い返しました。セゾン現代美術館は西武百貨店(セゾングループ)が経営母体となり、経営者堤清二(詩人辻井喬と同一人物)の収集した現代美術作品で構成されています。学生の頃、自分は池袋の西武美術館に頻繁に出かけて刺激的で尖鋭的な現代美術を考える機会を持っていました。「魂の場所」は堤清二の妹邦子のパリ画壇での交流、詩と絵画を同一として捉える詩人大岡信への同調、芸術家A・ウォーホルや荒川修作の芸術そのものの意味を問う思索など、20世紀から今世紀に至る現代美術の在り方を提言する密度の濃い内容でした。文章全体が時の流れを追うだけでなく、白熱し沸騰する現在という視点が常にあって、そこから導かれる論評に読み応えを感じました。次の引用で締めくくります。「自分の身体を恥じている自分とはいったい誰か。名づけられた自分、歴史のなかの自分、死の世界のなかの自分、つまり言語である。言語現象としての私である。芸術とは、この言語現象としての私が発生する瞬間を繰り返し、その白熱と沸騰を確かめることにほかならない、と思える。~略~宗教の起源は言語にしかない。言語とは禁忌のこと、法のことだ。私という言語現象もまた禁忌の束-文法の束-のようなものだ。芸術はこの禁忌の束をほどく、結びなおすために。芸術と狂気-禁忌の束をほどくこと-がしばしば同一視されるのは当然のことなのだ。」

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