「雨-労働の残念-」雑感

既に終わってしまった「墓は語るか」展で印象に残った出品作に故若林奮による「雨-労働の残念-」がありました。彫刻のもつ「隠された場所」を提示した同展では、まさにぴったりのコンセプトを有する作品ではなかったかと思いました。床に置かれた平たい矩形の立体は、表面を金属板で覆い、その内部にはどんなものが存在するのか、ほんの少し顔を覗かせている連続する小さな矩形以外には手掛かりがない作品というのが「雨-労働の残念-」を見た感想です。自分は若林ワールドを決して饒舌ではない無口でサービス精神を欠いた造形と決めつけていますが、そこには深い思索に富んだ骨太な造形をも感じています。若林奮は頑固で一徹な理論を持った作家だったのでしょうか。自分が学生だった頃に若林先生の講義を聞いても理解できなかった思い出とともに、痩せて神経質そうな先生の雰囲気が浮かんできます。タイトルにある「雨」は若林先生の他の代表作にも使われていて、自然現象を人工的な物質に置き換えて表現する若林ワールドの常套手段と思われます。しかも私たちが目にする自然と到底考えもつかない材質を用いて、それがそのまま詩情を醸し出すところに私自身は魅力を感じてしまうのかもしれません。鉄工場から生まれた詩魂、しかも自分の造形の痕跡を隠してしまうので、鑑賞には隠された思索を暴く謎解きが必要だと思っています。

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