生活の豊かさを問う

「われわれが捨てたはずの、過疎に喘ぐ、消滅寸前の『ムラ』が、なぜ『豊か』なのか。ムラこそ、都市の豊かさでもって救われなければならない存在なのではなかったのか。都市の豊かさとは、われわれ自身が捨ててきた、ムラの犠牲の上に立っているのであろうはずだから。だが、違うのだ。誇張を続けた都市は、今ではその機能をなかば喪失し、疲弊し、無機化し、衰退に向かいつつある。そこに住む人々は、虚ろな表情で、パラダイスであったはずの都市の消滅を予感し、同時に、故郷をも遠い昔に喪失していることを実感しているのだ。だからこそ、膨大な山脈があり、風や空気や水が清々と流れ、樹木や虫たちが群れ、大地から産物が得られる場所、すなわち『ムラ』への回帰を希求し始めたのだ。」(火の神・山の神 高見乾司著 海鳥社)読んでいた書籍の中から、こんな一文に気を留めました。現在、横浜駅という大商業エリアを抱える職場と、そこから遠からぬところに居住している自分は、都市生活者の範疇に入ると思っています。よく長野県や茨城県の緑深いところに住む知人に会いに出かけますが、そこで感じる自然環境に癒され、さらに憩えるのは、無機化した自分の生活環境が齎す弊害があってのことかもしれません。今の自分の生活を鑑みると、利便を求めた結果として、身体や精神に及ぼす悪しき影響はますます増大するように思われてなりません。本当の意味で生活の豊かさとは何でしょうか。生活の豊かさは生活者の心の在り処と密接に関係するものかもしれず、豊かさを感じる人それぞれであっても、決して物質的豊かさではないと思うのです。

関連する投稿

  • 余白とは何か 学生時代に亡父の手伝いをしていました。亡父は造園業を営んでいて、数多くの庭石を仕入れて畑に置いてありました。その昔は丹沢の河川敷や真鶴へ石を探しに行ったこともありました。アルバイトとしてみれば稼ぎの […]
  • 「一銭五厘の旗」読後感 暮しの手帖社から出版されている「一銭五厘の旗」は同誌編集長であり、表紙や挿絵も描いた故花森安治の、人柄を偲ばせる文章が満載された書籍でした。歯に衣着せぬとはこのことを言うのでしょう。滑舌のいい喋り口 […]
  • 朝夕の風景雑感 春眠暁を覚えずとはよく言ったもので、目覚ましが鳴ってもなかなか起床できず、その分朝食は慌ただしい時間の中で済ませています。最近の調査で定時に朝食を取るかどうかで、生活習慣病に影響することが新聞に掲載 […]
  • 何故奇想に惹かれるのか? フランドルの画家ボスやブリューゲルの奇想天外な版画を、先日まで東京で開催していた「バベルの塔」展で見て、空想の産物を面白がる気質が自分にはあることを改めて認識しました。現在読んでいる「奇想の系譜」( […]
  • 終焉までの道のり 現在哲学書を読み耽っているので、こんなことをテーマにしたわけではありませんが、どんなに贖ってもどんなに嫌がっても人には必ず死が訪れます。死を終焉として意識するのは動物の中で唯一理性をもつ人間だけです […]

Comments are closed.