「田中恭吉 ひそめるもの」読後感

「田中恭吉 ひそめるもの」(和歌山県立近代美術館企画・監修 玲風書房)を読み終えました。あまりにも短い23年の生涯を疾風の如く走り抜けた画家田中恭吉は、結果的には遺作集となった萩原朔太郎の詩集「月に吠える」の挿画で世に知られたと考えるのが一般的であろうと思います。萩原の処女詩集としての言語表現と田中の遺作としての絵画表現、この生と死が交差するところに詩集「月に吠える」の独特な存在があると私個人では考えています。田中恭吉が21歳で喀血し、結核療養のため和歌山県に帰郷し、病床にありながら恩地幸四郎に既存作品を託し、ペン画を描き、短歌を詠む日常はどのようなものだったのか、自分には想像すら出来ません。東京美術学校日本画科の旧態依然とした教育には懐疑的で、真に「気分を漲らせ人々を襲う表現」(夏目漱石評より抜粋)を田中恭吉は求めていました。田中自身の言う「底痛みのする革命」とは何か。不治の病から逃避せず、精神生活そのものを表現する世界、それが短くも煌めく象徴的表現となって表れたと考えます。田中のオリジナル作品が見られる機会があったら、是非見たいと思っています。

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