創造行為を考える

作品のイメージが湧く時や場面を思い起こしてみると、スポーツ等をやっていてテキパキと身体を動かしている時には、自分はなかなか創作イメージは出てきません。個人差もあるのでしょうが、技術的な作業をしている時も、スポーツの時と同じように思えます。土台に創作イメージがあっても、土を練ったり木を彫ったり、あるいは絵画でも平塗で色彩を施している時は、単なる作業であって創造行為とは違う頭脳の使い方をしていると思えます。彫刻の場合は創造行為から発し、職人的作業を経てカタチになっていくものがあり、創造的ではない仕事が大半を占める場合があります。創造行為は自分の全感覚を集中させて、頭で描いたイメージと眼の前にある具現化されたモノを行き来して決断を下しています。その決断を常に行うのが理想ですが、自作の場合は職人的作業が介在するため、暫し全体を眺めて創造行為に戻ることが出来ない場面があります。制作工程に時間がかかる媒体なので、自分自身で作業を行う以上仕方がない面もありますが、創造的ではない作業を進めていく上でイメージ通りにいかず、今までの作業が徒労に終わることもあります。最近は痛い目に合わないために用意周到になり、失敗も少なくなったことが挙げられますが、併せて冒険も少なくなったように感じています。

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