西洋の没落「魂の像と生命感情と」そのⅠ

「西洋の没落」(O.シュペングラー著 村松正俊訳 五月書房)の単元別のまとめをNOTE(ブログ)に書く機会が増えています。これは自分のメモとして書いている訳ですが、翻訳をそのまま引用しているので、NOTE(ブログ)を読んでいただいている方々にはいきなり難解な文面が掲載してあってご迷惑かもしれません。自分は過去2回途中放棄した書籍を不退転な意志を持って読んでいるので、今回は一歩ずつ読破に向けた確認を行っているのです。今回の「そのⅠ」とした単元は「魂の形態について」という箇所です。魂とは何か、その説明を抜き出します。「人間にとって『魂』とは、その人間がただ生活し、感ずるばかりでなく、注意深くなり、観察するようになった時にすぐできる一つの心象である。この心象は死と生とについてのまったく本源的な経験から出てくるところのものなのである。それは言葉という言語によって視覚から分離されたもので、後にくる思考と同様に古いものである。われわれには外界が見える。そうして自由に動くことのできるどの生物も、滅びないためにはその外界を理解しなければならない。そこで、日常の小さな、技術的な、手で触れる経験から、多くの不変の特徴が発展してきて、それが語を慣用する人間のために、理解された事柄の像にまとめあげられる。それが自然としての世界である。外部の世界でないものはわれわれには見えない。しかしわれわれは、それが現に在るということを、他人のまたわれわれ自身のなかに感ずる。」さらにまとめになる箇所を記しておきます。「…コペルニクスの世界像の拡大されて生じた星の空間の相、コロンブスの発見の結果としての西洋的人間による地球表面の支配、油絵、悲劇舞台の遠近法、ならびに故郷感情を要約し、これに高速度交通という文明化した情熱、空中の支配、北極探検、ならびにほとんど近づき難い山岳の登攀をつけ加える時、そのどれからもファウスト的な魂の根源象徴である無限の空間の現れてくるのがわかる。魂神話の特殊な、この形において純然たる西洋的形成物である『意志』、『力』、『行為』は、その派生物として理解されるべきものなのである。」

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