西洋の没落「大宇宙」そのⅠ

通勤中に「西洋の没落」(O.シュペングラー著 村松正俊訳 五月書房)を読んでいます。本書は壮大な論文なので、小単元ごとにまとめを行っています。自分の理解・認識として自分は毎回NOTE(ブログ)を使って、単元のねらいとする箇所を選び、また留意したところを書き出しているのです。今回読んだ「大宇宙」の副題は「世界像の象徴的意義と空間問題と」です。ここでは世界史の思想的捉えとして全てを包括する象徴主義理念が述べられています。「多数の根源象徴がある。深さの体験を通じて世界が成り、知覚が世界に広がる。この深さの体験は、自己の属している魂にとって意味を持ち、しかもその魂にとってだけ意味がある。その意味は覚醒している時と夢の中とでちがい、忍従の時と観察の時とでちがい、子供と老人、都会人と田舎者、男と女とでちがっている。そうしてそれはどの高い文化のためにも、その文化の基礎である形式の可能性を実現させるのであるが、それは最も深い必然に基づいているのである。質量、本体、物質、事物、物体、広がりのようなあらゆる根源語、それから同じく他の諸文化の言語のなかに保有されている無数の同種の言語記号は、運命によって定められた選択の許されない記号である。この記号こそ世界可能性の無限の豊富さのなかから、個々の文化の名にとって唯一の意味があるもので、そのためにこそ必然的な可能性を引き出すのである。どんな記号も、他の文化を体験し、認識する時には、正確に翻訳することができない。こういう根源語はどれも決してもう一度戻ってはこない。一つの文化の魂がその土地で自己意識に目覚める瞬間、その瞬間における根源象徴の選択は世界をそういうふうに観ることのできる誰にとっても、心を揺り動かせるものを持っている。すべてを決定するものはこの根源象徴の選択である。」

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