「瀧口修造の詩的実験1927~1937」

現在、通勤時間帯ではドイツ表現主義の画家アウグスト・マッケに関する書物を読んでいます。自宅の食卓には「瀧口修造の詩的実験1927~1937」(思潮社)がいつも置いてあって、毎晩適当な頁をめくっては何となく読んでいます。相変わらず読書好きな癖は抜けませんが、RECORDの下書きをやりながら、瀧口修造のコトバに戯れるのが今のストレス解消法です。詩人で美術評論家であった瀧口修造は、自分が尊敬してやまない人です。瀧口修造全集13巻が自宅の書棚に眠っています。以前は1巻から読み始めていましたが、途中で長い休憩を入れているうちに中断してしまいました。自分の読書好きな癖とそれを中断する癖は昔から変わりません。暫くしたら再読を始めるかもしれませんが…これも癖のひとつかもしれません。「瀧口修造の詩的実験1927~1937」は単独の詩集を出さなかった詩人の処女詩集にあたるものです。詩集の中に世界的な芸術家の名前が表題についた詩があります。それは作品の解説などではなく瀧口が創作したコトバで綴られています。芸術家の作品とコトバの関係を考えてみるのはとても楽しくて、お互いが対峙する世界観が垣間見えてきます。RECORDがその日の気分に左右されるように、コトバもその日の気分で眼に留まる箇所が違います。コトバから導かれるイメージも違ってきます。面白いものだなぁと思いながら、今晩もRECORDのエスキースを鉛筆で描いては消しながら、瀧口ワールドに酔いしれています。

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