オブジェの意義

通勤中の電車内でA・ブルトンの「シュルレアリスムと絵画」を、とつおいつ読んでいます。同書にオブジェに纏わる箇所があり、オブジェの意義を考えました。オブジェというコトバがいつ頃から使われだしたのか記憶は定かではありませんが、日本美術史に出てくる彫刻(彫塑)というコトバに比べれば、新しい時代が生んだコトバであることに異論はないと思います。自分はおそらく学生時代にM・デュシャンのレディメイドの作品を通じて、オブジェというコトバを知ったように思います。「~略~必要性からではなく、むしろ習慣から人間が用いている事物によって感覚世界が侵略されつつあるいま、それに対抗しうる防御手段をなんとしても強化しなければならない。ここでも他のどこでも、慣用という気ちがいじみた獣を追い立てることである。そのための手段は存在する。~略~詩人たち、芸術家たちは、相異なる二つのイメージの接近によって想像力のうちにつくられるあの『力の場』のさなか、学者たちと出会う。二つのイメージのこの接近の機能が彼らに、一般には限界となっているオブジェの明白な生命の重視というレヴェルを、さらにこえて高まることをゆるすのである。~略~」(A・ブルトン)事物の持つ価値を転換させ、新しい価値を創造することを芸術と科学双方で連携して試みること、これがオブジェの意義であると自分も考えます。

関連する投稿

  • 「瀧口修造の詩的実験1927~1937」 現在、通勤時間帯ではドイツ表現主義の画家アウグスト・マッケに関する書物を読んでいます。自宅の食卓には「瀧口修造の詩的実験1927~1937」(思潮社)がいつも置いてあって、毎晩適当な頁をめくっては何 […]
  • 詩的言語による作品分析 通勤電車の中で読んでいるA・ブルトン著「シュルレアリスムと絵画」(人文書院)に収められているマルセル・デュシャンの作り出したガラス絵「花嫁は彼女の独身者たちによって裸にされて、さえも」に関する分析は […]
  • 詩人の死生観について 「ぼくは死は生と地続きだ思っているんです。肉体は服を脱ぐように脱げるもので魂は生き続ける。だから、妻や友人たちを思い出すということは、彼らが、俗世間で生きているぼくたちとは違う形で生きているんだと思 […]
  • 箱宇宙に捧げられたコトバ アメリカ人アーティストのジョセフ・コーネルと詩人の高橋睦郎によるコラボレーションによる展覧会は、さまざまな角度から自分を刺激してくれました。そのひとつに造形作品に捧げられた詩人のコトバがあります。捧 […]
  • 非存在という考え方 あまり夢を見ない私が、ある晩に見た夢を覚えていて、夢の中では学生時代に遡って彫刻を学び始めた頃の私になっていました。人体塑造をやっていた私は、どこの部分の粘土を削り取ったらいいのか散々考えていました […]

Comments are closed.