オブジェの意義
2011年 5月 11日 水曜日
通勤中の電車内でA・ブルトンの「シュルレアリスムと絵画」を、とつおいつ読んでいます。同書にオブジェに纏わる箇所があり、オブジェの意義を考えました。オブジェというコトバがいつ頃から使われだしたのか記憶は定かではありませんが、日本美術史に出てくる彫刻(彫塑)というコトバに比べれば、新しい時代が生んだコトバであることに異論はないと思います。自分はおそらく学生時代にM・デュシャンのレディメイドの作品を通じて、オブジェというコトバを知ったように思います。「~略~必要性からではなく、むしろ習慣から人間が用いている事物によって感覚世界が侵略されつつあるいま、それに対抗しうる防御手段をなんとしても強化しなければならない。ここでも他のどこでも、慣用という気ちがいじみた獣を追い立てることである。そのための手段は存在する。~略~詩人たち、芸術家たちは、相異なる二つのイメージの接近によって想像力のうちにつくられるあの『力の場』のさなか、学者たちと出会う。二つのイメージのこの接近の機能が彼らに、一般には限界となっているオブジェの明白な生命の重視というレヴェルを、さらにこえて高まることをゆるすのである。~略~」(A・ブルトン)事物の持つ価値を転換させ、新しい価値を創造することを芸術と科学双方で連携して試みること、これがオブジェの意義であると自分も考えます。
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