「右手と頭脳」の読後感

ドイツ表現主義の代表格とされる画家エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー。数少ないドイツ表現主義関連の翻訳本の中で、この「右手と頭脳」(ペーター・シュプリンガー著 前川久美子訳 三元社)にめぐり合えたのは幸いでした。かつてのブログに書いたように、キルヒナーに関する書籍は滞欧時代に購入しているものの、ドイツ語を読み解く気にならず、表現主義の時代を想像するに留まっていましたが、キルヒナーの代表作「兵士としての自画像」を中心にした論評を読んで、キルヒナーの人生や彼が生きた時代背景がよくわかりました。「兵士としての自画像」には画家としての致命傷とも言うべき右手を失った自画像が描かれています。背後に裸婦の絵があって、そのイメージの謎解きに引き込まれました。実際にキルヒナーは右手を失ったわけではなく、画家としての生命を絶たれた暗喩として描いています。では背後の裸婦像は何か。志願兵として軍服を着たものの兵役に合わなかったキルヒナーが、そこから逃れるために敢えて自分を衰弱させ、軍医に掛け合って休暇をもらったりしていたことがあり、「キルヒナーは、自分がもっとも劣った兵士よりも軍隊の役に立たず、部外者であるという屈辱的体験を、社会が娼婦に向けた軽蔑と同一視している。~略~」という一文が示す通り、裸婦(娼婦)という考えが、この「兵士としての自画像」の構成要素にあるのではないかと本書では推論しています。また機会を改めます。

関連する投稿

  • ドイツ表現派に纏わる雑感 現在、通勤中に読んでいる「触れ合う造形」(佃堅輔著 西田書店)と、職場に持ち込んで休憩中に読んでいる「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 […]
  • 廃墟を描いた巨匠たち かつて人が住んでいた建物が残骸として残る廃墟。とりわけ石造建築は残骸さえ美しいと感じるのは万人にあるらしく、その欠落した建造物を多くの画家が描いています。私も時間が経過し蔦が絡まる廃墟に魅了された一 […]
  • 週末 梱包作業&美術館鑑賞 今日は梅雨らしい鬱々とした天気でした。午前中は昨日から続いている作品の梱包作業をやっていました。今日は若いスタッフが2人朝から来ていて、それぞれ制作に励んでいましたが、10時半頃スタッフ2人と家内を […]
  • クレーの交遊録 短い通勤時間で「クレーの日記」(P・クレー著 南原実訳 […]
  • ダダに関すること ドイツ人画家ジョージ・グロッスの生涯を論じた書物を読んでいると、ダダイズムについて自分の知識の乏しさが浮かび上がります。ダダイズムは既成の芸術を壊した運動としか自分は理解していませんでしたが、それを […]

Comments are closed.