「作らない」と「作れない」

週末だけ彫刻制作をしている自分は、今は「作らない」も「作れない」もなく、ひたすら作り続けることのみです。二束の草鞋で制作時間が充分に確保できないので、流暢なことを言っていられないというのが本音です。毎日創作活動に埋没していた若い頃は、慣れのせいかモノ作りに感動を失い、「作らない」と決めた時期がありました。意図的にモノ作りから距離をおいて、自分を見つめ直そうとしたのです。それでもずっと「作らない」宣言をしていたわけではなく、安易に再開して再びスランプに陥ってしまったこともありました。海外の美術学校に入ってから「作れない」時期がありました。何を作っていいのかわからない、本当に自分がモノ作りをしたいのかわからない、という経験は彫刻家としては危機的状況でした。自分を失いつつあった時には散歩ばかりしていました。意図的に「作らない」と自然発生的に「作れない」、どちらも苦しいのです。創作活動に関わらない人にとっては、どうでもいいような拘りですが、人生の意義をそこに求める自分は「作れる」という現在を大切に生きたいと願うばかりです。

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