瀧口流「I・ノグチ」論

「ノグチは西欧の環境で生活しながらも、たえず東洋に眼を向けている。数回にわたる東洋遍歴のみならず、彼の血液が力づよく誘うのであろう。が私たちの眼からは、それほど彼のある作品は東洋的と感じられないかも知れない。事実ノグチは東洋趣味といった気取りを嫌っているのであって、彼のような生い立ちの作家が、一種のジャポニズムによって商業主義の波に乗ることは易々たることであったろうが、彼はそれをつとめて避けてきたようである。芸術は国際語であるという前提のもとに彼は立っている。しかもその彼が東洋の芸術から彫刻の本質的なものを積極的に摂取しようとしてきたのである。これはやはり芸術家ノグチの自由な知性とめぐまれた特権でなければならない。こうしてすくなくとも西欧人には、東洋人の血を享けたノグチの直感的把握からにじみでる「詩」に東洋が感じられるのではなかろうか。〜以下略〜」長い引用になりましたが、「瀧口修造全集2」に収められているイサム・ノグチに関する論考の一部です。ノグチはこのブログの3年間の中でも一番多く扱った作家ではないかと思います。自分の「テーブル彫刻」や「場の造形」の原型はノグチにあり、学生時代から意識してきた作家なのです。自分はノグチに関する書籍は海外のものを含めてほとんど持っていると自負してもいいと思います。瀧口流のノグチ論も、正直自分にとっては新たな切り口ではなかったと感じました。

関連する投稿

  • イサム・ノグチの陶彫 「ノグチは陶器を彫刻として焼いている。すくなくとも彫刻家でなければ興味をもたない仕方で焼いているといってよいだろう。もちろん西洋流にいえばテラコッタ彫刻の伝統があって、そこから彼は一跨ぎで日本の陶器 […]
  • 瀧口流「H・アルプ」論 瀧口流「○○」論は今日で最後です。シリーズにするつもりはなかったのですが、文中に興味関心の高い彫刻家が続いたので、つい一人ひとりを取り上げてしまいました。アルプは抽象的な有機形態を作る彫刻家で、ポピ […]
  • 瀧口流「A・コルダー」論 アレキサンダー・コルダーは空中に浮遊するモビルで世に知られた彫刻家です。自分の学生時代に見た美術雑誌に、コルダーの作業場の写真が掲載されていて、そこはまるで町工場のようなところでした。鉄の部品が所狭 […]
  • 瀧口流「H・ムーア」論 愛読している「瀧口修造全集2」の興味関心のある箇所は、やはり彫刻家を扱っている章です。「ムーアにとって、何につけ自然のありかた、とくに生長の仕方に親しむということが必要なのである。自然の深い知識から […]
  • ピカソの陶芸の魅力 箱根の彫刻の森美術館に「ピカソ館」があります。自分にとって「ピカソ館」の目玉は、ピカソが加飾または絵付けをした陶芸の数々だと思っています。これは見応えのあるコレクションで、箱根に行く度にこの陶芸たち […]

Comments are closed.