彫刻における「労働の時間」

故若林奮の彫刻に「100粒の雨滴」という奇妙なタイトルのついた作品があります。正方形の銅板を何枚も重ねた作品で、銅板には何かしら痕跡のようなものが施されています。自分は大学時代に校内でよく若林先生の姿を見かけましたが、難解な彫刻を作っている人という印象があって、話しかけることができませんでした。先日から読んでいる酒井忠康著「犬になった彫刻家」の中で、「100粒の雨滴」に触れて、若林氏は「労働の時間」を表現してみたかったと語ったという箇所を見つけました。私はこの「労働の時間」というコトバが妙に気に入りました。空間がどうの塊がどうのバランスがどうのという彫刻本来の概念とは異なる彫刻のあり方を提示している「100粒の雨滴」。銅板1枚1枚にかける労働。蓄積された時間。モノに対する考え方が感覚的に伝わってくるようで、不思議な新鮮さを感じてしまいます。Yutaka Aihara.com

関連する投稿

  • 詩的言語による作品分析 通勤電車の中で読んでいるA・ブルトン著「シュルレアリスムと絵画」(人文書院)に収められているマルセル・デュシャンの作り出したガラス絵「花嫁は彼女の独身者たちによって裸にされて、さえも」に関する分析は […]
  • 詩画混在のJ・ミロ 象形文字のように単純化された形態をもつジョアン・ミロの絵画には、日本の前衛書道に共通する余白のセンスがあります。余白は空間であり、そこに平面でありながら立体としての空間を感じるのは私だけでしょうか。 […]
  • 若林奮「Dog Field」展 多摩美術大学美術館で開催されている故若林奮先生の「Dog […]
  • 鑑賞から生まれるコトバ 「瀧口修造全集Ⅴ」(みすず書房)には、作家の個展や出版等に寄せる滝口の文章が掲載されています。それは通常の美術評論として書かれたものや、作品鑑賞から生まれ出た詩的なコトバも数多くあります。そうしたコ […]
  • 詩集「ミロそしてミロ」 昨日、文筆家の笠原実先生から「ミロそしてミロ」という自作の詩集が送られてきました。まさに文字通り自作の詩集で、30部限定の私家版でした。これは我が家の家宝です。内容も家宝に値します。私もブログで幾度 […]

Comments are closed.