彫刻における「労働の時間」
2008年 4月 15日 火曜日
故若林奮の彫刻に「100粒の雨滴」という奇妙なタイトルのついた作品があります。正方形の銅板を何枚も重ねた作品で、銅板には何かしら痕跡のようなものが施されています。自分は大学時代に校内でよく若林先生の姿を見かけましたが、難解な彫刻を作っている人という印象があって、話しかけることができませんでした。先日から読んでいる酒井忠康著「犬になった彫刻家」の中で、「100粒の雨滴」に触れて、若林氏は「労働の時間」を表現してみたかったと語ったという箇所を見つけました。私はこの「労働の時間」というコトバが妙に気に入りました。空間がどうの塊がどうのバランスがどうのという彫刻本来の概念とは異なる彫刻のあり方を提示している「100粒の雨滴」。銅板1枚1枚にかける労働。蓄積された時間。モノに対する考え方が感覚的に伝わってくるようで、不思議な新鮮さを感じてしまいます。Yutaka Aihara.com
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Tags: コトバ, 作品, 書籍
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