詩集「ミロそしてミロ」
2007年 3月 17日 土曜日
昨日、文筆家の笠原実先生から「ミロそしてミロ」という自作の詩集が送られてきました。まさに文字通り自作の詩集で、30部限定の私家版でした。これは我が家の家宝です。内容も家宝に値します。私もブログで幾度となく書いているように現代詩に興味があり、学生時代は彫刻に目覚めるまで詩作を繰り返していました。詩にするにはあまりに粗末な感覚、語彙力で途中で放棄していたのでした。それがこのHPを作るにあたり、コトバを彫刻と並列(付け加えではありません)することになり、拙い詩作が再び始まりました。そこへこの「ミロそしてミロ」。う〜ん、先にやられてしまったと正直思いました。「ミロそしてミロ」は谷川俊太郎の「クレーの絵本」を彷彿とさせるものでコトバが絵画の感覚を掴み取っています。これは解説や評論ではありません。詩人の中には美術評論家も多く、評論する前に詩心で美術作品に接しているのかもしれないと思っているのですが、笠原先生が私の彫刻を批評してくださる時も、この感覚で書かれた一文だと確信しました。「笑覧いただければ〜」などというお手紙が添えてありましたが、とんでもないことです。これでしばらく勉強させていただきます。
関連する投稿
- 詩的言語による作品分析 通勤電車の中で読んでいるA・ブルトン著「シュルレアリスムと絵画」(人文書院)に収められているマルセル・デュシャンの作り出したガラス絵「花嫁は彼女の独身者たちによって裸にされて、さえも」に関する分析は […]
- 詩画混在のJ・ミロ 象形文字のように単純化された形態をもつジョアン・ミロの絵画には、日本の前衛書道に共通する余白のセンスがあります。余白は空間であり、そこに平面でありながら立体としての空間を感じるのは私だけでしょうか。 […]
- 若林奮「Dog Field」展 多摩美術大学美術館で開催されている故若林奮先生の「Dog […]
- 鑑賞から生まれるコトバ 「瀧口修造全集Ⅴ」(みすず書房)には、作家の個展や出版等に寄せる滝口の文章が掲載されています。それは通常の美術評論として書かれたものや、作品鑑賞から生まれ出た詩的なコトバも数多くあります。そうしたコ […]
- 彫刻における「労働の時間」 故若林奮の彫刻に「100粒の雨滴」という奇妙なタイトルのついた作品があります。正方形の銅板を何枚も重ねた作品で、銅板には何かしら痕跡のようなものが施されています。自分は大学時代に校内でよく若林先生の […]
Tags: コトバ, 作品, 書籍
The entry '詩集「ミロそしてミロ」' was posted
on 3月 17th, 2007
and last modified on 1月 18th, 2010 and is filed under note.
You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.
Both comments and pings are currently closed.