ボスフォラス海峡のフイッシュバーガー

イスタンブールで病みつきになった料理はフイッシュバーガーでした。それも獲れたての魚をその場で揚げて、パンに挟んだ野趣あふれるものです。それはヨーロッパとアジアを繋ぐボスフォラス海峡のガラタ橋近くに舟を横付けして売っていました。長いウィーン生活で魚に飢えていたせいか、その美味しさは筆舌に尽くしがたいものがありました。日本から直接行ったのでは、あの感動はなかったと思います。フイッシュバーガーは朝夕食べていました。港の広場では魚売りの他に水売りがいたり、演歌のように聞こえるトルコ歌謡を売っていたり、面白さに溢れていました。ガラタ橋を何度も行き来して、ヨーロッパとアジアを堪能しました。アジア側にウシュクダラという地名があって、日本の歌謡曲になっていたのを思い出し、行ってみたのですが、なんでもない普通の住宅街でした。

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