プッフスバウム通り

10区のプッフスバウム通りというのがウィーンで長く住んだ場所でした。このあたりは外人労働者が多く住んでいましたが、治安は悪い方ではありませんでした。地下鉄Uー1の終点であるロイマン広場から何本か延びた通りのひとつがプッフスバウム通りでした。ロイマン広場にはアマーリエン公衆浴場があったのですが、ここには一度も行かず残念なことをしました。「テイッヒー」というアイスクリーム店もあって大変な評判でした。夏の間だけオープンするので時期になると長蛇の列ができました。専用のバケツがあってアイスをぎっしり詰めてくれました。なぜか家内が列に並んでいる後姿が印象に残っていて、いまだに私の脳裏に焼きついています。友人や両親が来た時もバケツいっぱいのアイスを買って帰りました。ルーマニア人家族が本国から来た時もこのアイスとマクドナルドのハンバーガーでおもてなしをしました。当時ルーマニアは共産圏で出国さえ難しい時代でした。

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