乾いた土地で体感したこと

中学生の頃から大学卒業まで父の家業を手伝っていて、そのアルバイト代を貯めてヨーロッパに出かけました。気候風土は日本の湿った環境とはまるで違い、乾燥した空気に心地よさを感じました。日本のような肥沃な土地ではないため野菜や果物の種類が少ないことはありますが、オリーブやワインが美味しく、また酪農に支えられてきただけあってチーズやヨーグルトは日本では味わえないくらい豊富な種類がありました。当時ウィーンの美術学校に通いながら石切のアルバイトをしました。造園とはまるで異なる仕事。乾いた空気の中で石の粉を浴びながら、ハンス・ムアという作家の噴水彫刻作りを手伝っていました。こういう仕事は自分に向いているのかどうか、同じ下働きをしていた同胞の石彫家と自分を比べて、自分に本当に合った仕事は何なのか、ずっと考えていた毎日でした。

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