Archives for the Month of 8月, 2006

ルーマニアの門

ウィーンで学生だった頃、紀行作家のみやこうせい氏と学生食堂で知り合い、それが縁で彼が取材していたルーマニアに度々同行しました。自分は彫刻を学んでいたので、ルーマニアといえばブランクーシに関連するものがあるかもしれないと考 […]

ブランクーシのアトリエ

たまに記憶の底から甦るところにパリのブランクーシのアトリエがあります。20数年前の当時はポンピドーセンターの近くにあって写真でしか知らなかったブランクーシの作品が所狭しと置かれていました。思っていたより小さく白っぽい空間 […]

コメントの書き込み

今回のブログからコメントの書き込みが出来るようにしました。誹謗中傷も多いと助言してくださる人もいますが、ともかくやってみることにしました。お手柔らかにお願いします。HPも少しずつ充実させていこうと考えています。24時間無 […]

肖像彫刻について

昨日のブログに具象に対する憧れを書いたのは、自分とは縁のない肖像彫刻について考える機会があったからです。先日長野県に行ってきましたが、碌山美術館に行く前に立ち寄った豊科近代美術館には高田博厚による肖像彫刻が数多く所蔵され […]

表現や素材に対する浮気

ストイックな抽象表現をやっていると、具象的な表現に憧れ、人物を塑造してみたくなります。具象的なカタチには自分の頭では考えられない様々なカタチがあって観察を極めたくなるのです。抽象と具象は割り切って区別できるものではなく、 […]

久しぶりに碌山美術館へ

荻原守衛(碌山)は自分が大学で塑造を習い始めた頃、最初に影響を受けた彫刻家です。その頃から碌山美術館に通い始めました。もう20年以上も前のことです。当時は新宿から各駅の夜行に乗ると朝早く穂高駅に着くので、そこから歩いて美 […]

キリスト教彫刻と「エルミタ」

池田宗弘先生の最近の仕事はもっぱらキリスト教に関するもので、麻績のアトリエもいずれ祭壇を作り教会にする計画があるそうです。画家藤田嗣治はフランスの田舎に小さな礼拝堂を建てて自作の壁画で飾り、自らもそこに葬られていますが、 […]

長野県東筑摩郡麻績村へ

中央高速を松本方面に向かい、さらに長野自動車道を北に進むと麻績インターがあります。そこで降りて山道に入ると民家がなくなります。木立に囲まれた細い道をさらに進むと、木立の間に真鍮の彫刻がいくつも立っている風景が目に飛び込ん […]

乾いた土地で潤いのある空間を見た時

先日から書いている土地にまつわる話です。日本でやっていた造園の仕事とヨーロッパでやっていた石彫の仕事。それぞれ親方の下で半端な助手として働いていましたが、滞欧生活2年目で訪れたパリでその融合とも思える作品に出会いました。 […]

乾いた土地で体感したこと

中学生の頃から大学卒業まで父の家業を手伝っていて、そのアルバイト代を貯めてヨーロッパに出かけました。気候風土は日本の湿った環境とはまるで違い、乾燥した空気に心地よさを感じました。日本のような肥沃な土地ではないため野菜や果 […]

潤いのある土地で体感したこと

潤いと書くと好印象をもちます。たしかに日本庭園の瑞々しい緑を見ていると日本の風土が樹木を育てるのに肥えているのがわかります。父はそんな仕事をしていましたが、自分はこの仕事にあまり協力的ではありませんでした。敷石の並べ方、 […]

霊界と交信する夏

ドラマのようなタイトルを考えましたが、今日は父の四十九日の法要でした。実家は生前の父のものがすべて残されているので、たとえ今日を迎えたからといって父の存在をすぐ払拭できるものではありません。とくに造園の職人だった父は、植 […]

自然の再現

観光地で訪れる人が多くても、京都の寺院のそれぞれの庭園はどれも心地よい印象を与えてくれます。仕切られた空間のほどよい広さ。自然石の配置。波に見立てた白砂。老樹の枝ぶりなど一瞬にして心が吸い込まれます。それは石や樹木や苔が […]

氏名文字の再構成

今制作中の彫刻作品に貼る印の下書きに入りました。今回は縦4センチ、横5センチの横長特大版です。石がこれだけ大きいと印床に収まらず、手で押さえて印刀を入れることになりそうです。氏名は篆書や草書ではなく普通のゴシック体にしま […]

長距離タイプ

空調設備のない場所で手許だけ見つめて、ひたすら木を彫る作業を続けています。持久走のようなものです。今日もやらなくっちゃと蒸し風呂のような部屋で仕方なく思うのは朝始める時だけで、これを乗り切るともう大丈夫。汗をかくと身体が […]

ながら作業

作業場には朝からラジオが流れています。「FMヨコハマ」をよく聴いていて、心地よい響きになっています。番組の途中にクラシックが何気なく流れたりすると思わず聴き入ってしまいます。「ながら作業」というもので、単純な手彫りの時は […]

「無言館」にて終戦を思う

今日は戦没者追悼式が行われました。自分は戦後世代なので第二次大戦がどんなものであったかわかりません。昨年の夏は信州にいて、戦没画学生の作品を集めた「無言館」を訪れていました。今年も今月下旬に恩師のアトリエがある長野県に行 […]

囲むカタチ

何本もの柱に文様を彫り、その柱を円形に立てて囲むカタチを作りたいと考えています。現在進行している彫刻ですが、前にブログで書いたとおり今は構成要素となる部分(柱)を作っている最中で、これを組み合わせるとひとつの作品となる予 […]

制作の集中力・持続力

今日は作業場に人が来ず、一日中無言のまま制作を続けました。こんな日もたまにはあるのです。木に鑿を振るい、木と対話しながらカタチを彫り起こしていく作業です。午前9時から始めると1時間ほどで気が乗ってきます。さらに2時間は集 […]

魂入れの法事

墓地を菩提寺に移したことで今朝は「魂入れ」という法事になりました。昔からあった小さな墓地を掘り返したときに「魂抜き」をやっているので、今日は「魂入れ」です。魂を抜いたり入れたりすることは滅多にないことなので、浄土宗の不思 […]

屏風の面白さ

陶彫レリーフを屏風にした「発掘〜鳥瞰〜」を制作中の頃、主に日本画で行われている屏風表現がもっと様々なカタチになっていけたらいいなと思っていました。それから屏風を使った表現を考えるようになり、自由なテーマによる屏風の構想が […]

365個で構成する作品

コンセプトを大事にするならアイデアはとても人に言えないところです。自分の作品にもコンセプトはもちろんありますが、むしろ手間暇かかるので、比較的軽い気持ちでアイデアを人に話してしまいます。そこで今考えている作品に「365個 […]

真珠の耳飾りの少女

ぼんやりテレビを眺めていたら、しっとりとした色彩が全編を覆う画面が映し出され思わず見入ってしまいました。アトリエの窓から淡い光が入り、佇む人物や身に着けた衣装に微妙な陰影を作っていました。まさにフェルメールの絵そのもので […]

イサムノグチの原爆慰霊碑

ヒロシマに関わることをブログに書いていたら、もうひとつ脳裏をよぎったことがあります。イサム・ノグチは学生時代からよく知った彫刻家ですが、彼の作ろうとした原爆慰霊碑があったことです。これの存在をつい最近まで知りませんでした […]

ヒロシマのある国で

「ヒロシマのある国で」という合唱曲があります。「八月の青空に今もこだまするのは若き詩人の叫び、遠き被爆者の声〜」で始まる歌です。昨日はヒロシマに原爆が投下された61年目の記念日でした。何年か前に広島を訪れた時は記念式典の […]

武装のイメージ

作業場に教え子が来て、武器を作っているのかと聞かれました。確かに柱の先を尖らせて文様を加えた作品は槍のようにも見え、それらが数本立てかけてある作業場は異様な雰囲気です。いずれ20数本を彫り上げ、組み合わせて囲むカタチを作 […]

嗜好品ないものねだり

海外で暮らしていた頃は、米を炊いて、高価な醤油を使って料理していました。日本食くらい美味しいものはないと思っていました。帰国した時、実家で食べた米飯の味は忘れられない思い出です。ところが今はパンに凝っています。クリスマス […]

叔父の哲学につきあう夜

妻の叔父にあたる人に量義治という哲学者がいます。個展や横浜のグループ展の案内を送るとよく来てくれます。叔父はカント哲学を研究し著作も出しているのですが、贈書していただいたにもかかわらず、読み始めの途中で投げ出してしまって […]

歯の治療

今年初め、図録作成の撮影会の時に作品を持ち上げたら、奥歯にある差し歯が取れてしまいました。ずっとそのままにしておいたら、どうも具合が悪いので思い切って歯医者に行きました。差し歯はたいしたこともなく新しく作ることになりまし […]

8月は矢の如し

8月になりました。毎年のことですが、8月は集中して作品制作に明け暮れるため、あっという間に過ぎてしまいます。まさに光陰矢の如しです。今月をどう乗り切るかで来年の展覧会出品が影響してきます。計画はあえて少しばかり無理のある […]

ギャラリーに「円形劇場」「礼拝堂」アップ

ギャラリーに先月末ふたつの作品をアップしました。コトバを書くことで造形が甘くなることがあるだろうかと自問自答しています。文学性に逃避してカタチに真正面から向かうことができていない作品を多く見かけるからです。そうしたことが […]