ガラガラ声と大きなマスク

今日職場に行くと、「どうしたんですか?」「声がつらそうですね」と自分の顔を覆っているマスクを見ながら、職場の人が声をかけてくれました。管理職である自分は、今までなら周りを気遣い、周りの人に声をかけていました。「年休が欲しいのですが…」と職場の人に言われれば、快諾して「お大事になさってください。」と送り出していました。今度は自分がそうなっているのですが、年度末に近くなって仕事で帰るに帰れず、結局は勤務終了。帰りがけ、「僕が車で送りましょう。」と、自分を気にしてくれていたベテラン職員が言ってくれたことが天の助け。好意に甘えてしまいました。年休は管理職が承諾するものですが、自分は年休が取れずに、こうして身体を騙しつつ山積する仕事をこなしていくのかなと思いました。現在、人事評価がある程度出来上がって、来年度に向けての準備が始まっています。この立場で、いったいいつ休めるのか、週末は別の世界を持っている自分には厳しいものがあります。健康あっての二束の草鞋。自宅では仕事をせずに休もうと思っていたら、目の前にRECORDの白い画面。加えて今書いているブログ。病の中で描くRECORDもまた一興かも、と咳き込みながらペンを走らせました。

HPの新しいNOTE

ホームページの中にあるNOTE(ブログ)が新しい形式になりました。使い慣れないうちは大変ですが、すっきりしたデザインになりました。毎日書いているものなので、すぐ慣れるとは思いますが…。このホームページは自分にとっては大切な表現手段です。WEBギャラリーとして、昼夜を問わず公開しているものなので、設置に手間暇がかかる立体作品を見せたい時は便利です。NOTE(ブログ)は、横浜市公務員として仕事をしている日々の中で、美術的なことを考えられる手段として貴重です。今後ともよろしくお願いいたします。

週末 休憩を取りながら…

公務と創作の二束の草鞋は、ずっと以前から続いていて、この自転車操業のような日程にいつか狂いが生じると思っていましたが、それが今日かもしれないと危惧しています。昨晩から喉に痰が絡んで声が出にくくなっています。これは風邪かなと思い、大事をとって休憩を入れながら制作をしました。制作は週末ごとにやるべきことを決めているので、完全に休むことは出来ません。今日は窯出し、修整、タタラだけにしました。RECORDの彩色もしました。体調が万全でない時に感じる工房の雰囲気は、なかなか厳しいものがあって、冷たい空気と土の埃、さらにゆったりと休めるソファ等がないため、否が応でも作業机に向わざるを得ない環境になっているのです。自宅に戻りたい気持ちを抑えつつ作業を進めました。不思議なことに作業をしていると気持ちが落ち着き、身体も楽になったような気がしました。実はそろそろ見せ場としたい陶彫のパーツを数個作る予定でしたが、これは元気を回復してからやろうと思います。明日も休憩を入れながら、ゆっくりしたペースで制作をしようと思います。

陶壁へのイメージ再び

今までのブログの中に、自分の美術的なイメージをコトバとして書き綴ったものがあります。それは通勤中の車内だったり、不謹慎ながら会議の途中にふと湧き上がったものだったりします。かつて城壁のようなものの上に築かれた街をイメージし、それをいつぞやのブログに書きました。それをもとに「発掘〜赤壁〜」を完成させ、昨年の個展で発表しています。イメージは自分の中に仕舞いこんでおくべきものであることを承知の上で、このブログにアップしています。ブログでの公表は、自分へ課すハードルのようなもので、これを超えるために自分を追い詰めていくのです。このところ、脳裏を掠めているイメージは旧作「発掘〜鳥瞰〜」の連作です。これはレリーフ状の陶彫を板に接着させ、屏風に仕立てた作品です。いわゆる陶壁です。「発掘〜鳥瞰〜」が円形をベースにしたものであるのに対し、今考えているのは矩形をベースにした架空都市です。前にRECORDで矩形のリピテーションを扱ったことがあり、それに角度をつけて立体化してみたくなったのです。「発掘〜鳥瞰〜」を作ってから、そろそろ10年が経とうとしています。時間を置いて再び連作を始めてみるのも面白いかもしれません。

ちょい創作が元気のモト

ウイークディは朝から晩まで人事評価やら会計業務に追われていて、創作行為の入り込む余地がありません。職場ではデスクワークが多く、精神的に参ってしまう時があります。だからこそ少しでも創作時間の確保が必要で、頭を切り替えて、自分の世界に遊びます。気分転換としてやっていたことが、いつの間にか精魂傾けている結果になります。それをちょい創作と呼んでいます。ちょっとだけボランティアをすることを、ちょいボラと呼んでいるのと同じです。ちょい創作にはRECORDが、とてもいい表現手段だと自負しています。葉書大という大きさがいいのです。毎日描くことが負担になる時がありますが、毎日描く行為に慣れてくるのも事実で、描いている間に元気が出てきます。心が蘇生するようです。イメージ力は、何にもしないと衰えてしまうのかもしれないと思うことがあります。ちょっとでも手を動かし、頭に快い映像を浮かべることで、イメージ力を保てるのではないかと考えています。ちょい創作が元気のモト。仕事のことはちょっと棚上げして、頭をゆすってみている毎日です。

「束芋 断面の世代」展

先日、横浜市民ギャラリーに行った折に、横浜美術館に足を伸ばし、若い映像作家による展覧会を見てきました。「束芋 断面の世代」展という平面作品と映像による作品で、新しいような古いような世界観に浸っていました。見慣れた日常のちょっとした情景や室内風景や人物、静物をペン画ふうのアニメーションにして、幻想的な世界を表現していました。断面というのは、社会全体を見据えるというよりも、もっと小さな関わりの中で誰もが生きている現状を捉えてのことを言うのでしょうか。ともあれマンションの一室が見取り図のように上から描写されたものが映像化され、何かの弾みで崩れていく過程を追った表現には、何でもない日常に潜む孤独感や妙な不安が滲み出ていて、不思議な気持ちにさせられました。現代美術は難解なモノと思われるフシがありますが、この「束芋 断面の世代」展はわかりやすく、心に触れてくるものがあって、とてもいい企画だと思いました。いろいろな表現分野を発掘して、展示してみせる横浜美術館は、地元というだけではなく応援していきたい美術館です。近いこともあって頻繁に訪れる場所でもあります。

2月RECORDは「渦巻く」

先月の「絡みつく」から今月の「渦巻く」へテーマが変わりました。RECORDというのは、ブログで幾度となく説明していることですが、葉書大の作品を一 日1枚ずつ制作していく総称で、文字通りRECORD(記録)です。もう4年目に入り、総数は1000点を超えています。3年前から毎月テーマを決めて 作っています。表現方法は具象傾向、抽象傾向、半立体など自由にやっています。このところ5日間をひとまとめにして展開する内容にして一貫性を持たせてい ます。今月のテーマ「渦巻く」は今までも出てきたテーマですが、改めて「渦巻く」世界を煮詰めていきたいと考えています。渦巻きは日本古来の文様にも表れ る意匠で、集中や拡散を表現するにはとてもいいカタチをしています。現代絵画ではオーストリアの芸術家フンデルトワッサーが渦巻く作品を作り続けていまし た。もう故人ですが、自分が実際に会話したことのある唯一の巨匠です。「渦巻く」は抽象的な平面構成としても、描写的な幻想絵画としても面白くなるのでは ないかと思っています。

2月の制作目標

2月になりました。2月になった途端に雪が降り出し、職場からの帰り道に明朝のことが心配になりました。我が家は丘の上にあるので、道が凍結したら歩けなくなるのです。横浜では珍しいことです。さて、今月の制作ですが、来月末にある新作の撮影を目指して、陶彫をひたすら作り続ける予定です。「構築〜瓦礫〜」にとって、今月が重要な制作工程に入るからです。月初めに目標を立ててやっているせいか、常に時間に追われる週末を過ごしています。それは東京銀座で個展を開催する前からの習慣化した日常で、かれこれ10年以上も、こうした生活を続けています。おそらく公務員を定年退職するまで、このままかもしれません。その中でも今月こそは…と考えながら、毎月異なる制作状況の中を何とか乗り越えてきているのです。ある意味緊張が伴い、自分の課題解決に向けて出来得る限りのことをしています。あえて生涯学習と言わなくても、学んで創り、創ってはまた学ぶために生きている気がしています。立派なことをしているとは思えません。これは自己満足に過ぎないことで、環境があって許されていることだとも思います。

週末 成形と撮影

今日は朝から工房に入り、制作に拍車をかけていました。前に成形した陶彫の修整2点、新たな成形3点、次に窯入れを予定している作品4点の仕上げと化粧がけ、そして窯入れをしました。午後はカメラマンが工房に来て、今年の個展に出品する「球体都市」7点の撮影をしていきました。いつもながら密度の濃い週末です。ずっと動き回って立ち止まることのない作業。それでも昼頃にぐったりする時間もあったのですが…。「構築〜瓦礫〜」が少しずつカタチになっています。タイムリミットの3月末まで、あとどのくらいの作業時間があるのか、どこまでやれば納得のいく作品になるのか、模索がないとは言えませんが、今は考えるより身体を動かすことです。無我夢中になってる自分を多少冷静に見つめてコントロール出来るようになったことが、熟練なのか、加齢によるものか、よくわかりませんが状態としてはいい状態を保ってると思います。また来週末。5日間の公務に専念した後で、またスイッチを切り替えたいと思います。

横浜市民ギャラリーへ…

昨年の今頃は横浜市民ギャラリーのグループ展に出品していたので、市民ギャラリーの受付にいて来客を待っていました。今日は鑑賞する側として訪れました。自分の作品がないため、全体を客観的に見回すことが出来ました。毎年出品されている方々には、その精魂込めた仕事に頭が下がります。例年小学校や中学校、高等学校の児童生徒作品展と同じ日程で開催しているので、観客動員数が多いのです。今日も親子連れが児童生徒作品展を見たついでにグループ展にも寄っていました。自分の後輩にあたる若い作家が、かつて自分の定位置だった正面入り口の場所に、大きな木彫作品を出していました。グループ展の看板としては、ガラス張りの遠くから目立っていて、いい雰囲気だと思いました。自分はもう出品する機会がないかもしれませんが、このグループ展がいつまでも継続できるように、また発展できるように祈っています。そのためには新人の発掘が急務ではないかという課題を感じつつ、市民ギャラリーを出ました。

意匠に思いを寄せて

現在、自分の創作と呼べるものは陶彫・木彫による彫刻作品とポストカード大の平面作品RECORDだけです。横浜市公務員という身分保障があって、週末だけで制作をしているのですから、これ以上は時間的に厳しいと言わざるを得ませんが、時間が確保できればやってみたい分野はかなりあります。自分らしさは自分の殻を抜け出したと思っても失われないものらしく、むしろ彫刻やRECORDで培った自分らしい意匠を、もっと広げてみたい欲求に駆られています。たとえば染織。自分が愛用しているバンダナのデザインやウイークディに着用しているネクタイをデザインしてみたいと思っています。陶芸による小品も作りたいのです。室内装飾にも、いつぞやブログに書いた舞台美術にも興味があります。本の装丁然り。そうしたもので生活費を稼いでいる彫刻家もいることでしょうし、それはそれで不況の折には厳しい状況があるとは思います。自分のようにまるで違うところで労働している方が気が楽なのかもしれません。自分が思う意匠の夢は、売れる売れないに関わらず、商業とは縁の薄い遊戯感覚で発想されたものなのです。

プラスとマイナス

プラスというのは塑造(モデリング)のことで、可塑性のある素材を付け足して膨らませる造形方法のことです。マイナスというのは彫造(カーヴィング)のことで素材を彫ったり削ったりしてカタチを表す造形方法です。プラスの素材は主に粘土で、成形が比較的楽に出来るため幼児にも扱えるし、心理的な治療やリハビリテーションにも使えるのではないかと思います。土に触れていると、時間を忘れるくらい集中してしまうのは自分だけではないと思えるからです。一方、マイナスの素材は木や石です。彫造では道具の扱いが難しいのですが、自然の素材を彫る喜びがあって、彫刻的な醍醐味が味わえるのは、こうした行為ではないかと思います。素材の中に潜むカタチを、手探りして彫りだしていく過程に心地よさを感じるのは、これも自分だけではないと思えるのです。そう考えると現在自分が作っている「構築〜瓦礫〜」はプラスとマイナスの素材を組み合わせた複合彫刻と言えるのではないか、でも現代彫刻はプラスやマイナスなどと言っている狭義な世界から逸脱し、もっと多様な素材が登場している状況もあるのだから、相反する素材や要素があっても不思議ではないとも思っています。

仕事帰りに工房へ

帰宅が夜7時頃だったので、自宅に帰る前に工房に寄りました。いつもより早い帰宅時間で気持ちに余裕が持てて、陶彫の焼成の具合を確かめようと寄り道をしたのです。日曜日の夕方に本焼きを始めて、20時間くらいで1230°になり、そこから温度が下がり始めて、今日は温度が200°を少し下回っていました。これは窯の扉を開けても大丈夫な温度なので、開けてみることにしました。もう何回窯出しをしているのか見当がつきませんが、窯を開ける時はいつもドキドキします。今回は上手く焼けていました。細かいところまではチェック出来ませんでしたが、前回のように大きく割れた作品がなかったのが救いです。もともと陶彫は無理なカタチをしているので、無事に焼けてさえいればOKです。焼成で面白みを出そうとは思いません。電気窯を使っているので、計算通り均一にすっきり焼けてくれれば満足です。窯から作品を出すのは時間のある週末に行います。陶彫ひとつひとつは大きな彫刻のためのパーツなので、完成した陶彫のパーツを並べてみて全体を捉えます。そこから「構築〜瓦礫〜」の雰囲気を感じ取り、また新たなパーツを考えていこうと思います。

M・デュシャンの語録より

マルセル・デュシャンがガラスの大作「独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」を構想しながら書き溜めた「グリーン・ボックス」と呼ばれているノートがあり、その和訳可能な部分を翻訳したものを読み解いています。難解というより、その時々に脳裏を過るコトバを書き連ねたものという印象で、作品にするための準備のようであり、作品に拘らず日常の事象を思索したものとも考えられます。コトバを媒体にした何らかの表現活動ですが、詩とも散文とも言えないもので、むしろそうした芸術活動の概念から解放されることを意図した作品とも言えます。「あのガラス作品には、たしかに画家の制作としては類を見ない忍耐と思索が投入されているにしても、デュシャン自身はあらゆる考証の結論から自由であろうとする。〜略〜たしかにデュシャンのノートはガラス作品の計画をめぐるノートであったにしても、それは彼の脳裏に起った思考の痕跡であって、できあがった作品のためのという既成概念による推理論証は、ふたたび芸術作品の罠に陥ることになるだろう。〜以下略〜」(瀧口修造全集3)マルセル・デュシャンは芸術や文学から自由になろうとし、作品にローズ・セラヴィという署名をすることにより、男性からも自由になりえたと瀧口は書いています。「あるいは自由という観念からさえも自由になりえたのだ。」(瀧口修造全集3)

M・デュシャンを紐解く

現代美術に大きな足跡を残したマルセル・デュシャン。実は学生時代から避けて通ってきた巨匠の一人で、いつかはマルセル・デュシャンの全貌を理解したいと思いつつ、その謎に触れると思考の混乱を招いてしまうのです。自分の認識と言えば、創作行為にレデイメードを持ち込んだことくらいしかありません。ガラスの大作「独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」は気になる作品のひとつですが、自分にとっては読み解くことが容易ではありません。「瀧口修造全集3」では多くの紙面を割いて、マルセル・デュシャンの仕事や創作メモを掲載していて、ひとつひとつ読み込んで、マルセル・デュシャンの造形思考や詩に近づきたいと考えています。「マット氏が自分の手でこの泉をつくったかどうかということは重要なことではない。かれはそれを選んだのである。彼はありふれた生活用品をとりあげ、新しい標題と観点のもとに、その実用の意味が消えてしまうようにそれを置いたのだ。つまり、その物体のために新しい思想を創り出したのだ。〜以下略〜」有名なレデイメードのことを書いた一節です。ここで言うマット氏はマルセル・デュシャンのことで、便器を逆さにしたものを「泉」という題名をつけて、ニューヨークのアンデパンダン展に出品したのです。上記の文はデュシャン自らが書いたとされています。マルセル・デュシャン入門としては、今日はこのくらいにしておきます。

週末 3回目の窯入れ

昨日、陶彫土台が焼成できたことで気をよくして、今日もうひとつ陶彫土台の窯入れをしました。乾燥が完全ではない陶彫部品は後回しにして、とりあえず陶彫土台を含めて4点の窯入れをしました。水曜日に窯出しができるはずですが、仕事の関係で来週末に窯を開けます。今日の作業としては、前述の窯入れ前の仕上げ、化粧掛けを4点行い、さらに成形を1点、修整を1点、それから来週末の作業を考えてタタラを6枚作っておきました。昼頃、窯の業者が来て、前から注文しておいた高さのある支柱4本と灰釉、透明釉を持ってきました。自分は陶彫作品に釉薬を使わないのですが、時間が出来た時に器作りにチャレンジしたくて釉薬を揃えているのです。釉薬は焼成実験が必要なので、公務員をやってるうちは手が出せないかもしれませんが…。それにしても週末は過密スケジュールです。昨年までこの時期に横浜市民ギャラリーのグループ展に出品していました。どうしてそんなことが出来たのか今思うと信じられないくらいです。昨年4月に職場の異動があったことが大きいとは思いますが。また来週末に頑張りたいと思います。

週末 焼成の躓き

日曜日に窯入れした作品5点を窯から出しました。水曜日には温度が下がっていたはずでしたが、ウイークディは工房に行く暇がなく、窯出しは今日になりました。5点のうち一番小さい作品が割れていました。素焼きを省略して、いきなり本焼きで1230°まで上げるので、作品の乾燥が足りないと割れてしまうのです。窯の隙間を埋めるために、若干乾燥が心配だった小品を入れたのが失敗でした。残り4点は上手くいきましたが、小品とは言え手痛い躓きになってしまいました。焦って毎週毎に窯入れすることはやめようと思いました。ただし、今回の窯で一度成形をやり直した陶彫土台8点のうち、乾燥が出来ている1点を入れてみました。何とか成功したので、焼きあがった陶彫土台に柱を置いて仕上がりを検討しました。ようやく「構築〜瓦礫〜」のイメージが具体化してきたように思えます。明日はまた乾燥を見極めて、仕上げと化粧掛けをやっていきたいと思います。

ウイークディの5日間

月曜日になると、夜の明けぬ朝6時に家を出て出勤していきます。これから5日間は公務員としての仕事があると思うと、何とも言えない気持ちになります。多忙極まりない職場のためか5日間は、あっという間に過ぎていきます。朝早く起床して出勤することが大きな仕事で、職場に入ってしまうと、何が何でも仕事をしなくてはならない環境に身を投じてしまうので、自分を振り返ることもなく時間が過ぎてしまうのです。この5日間を長いと見るか短いと見るか金曜日になるとつい考えます。実は週末もあっという間に過ぎてしまいます。だからこそ明日から創作活動ができるとウキウキしている金曜日の夜が一番楽しい瞬間なのだと思います。のんびり休息することは今は要りません。ちょっと楽しいと思える瞬間があれば満足です。ウイークディの5日間はそういう瞬間が残念ながらやってきません。いつも月曜日になると何とも言えない気持ちになるのは、金曜日のようなウキウキ感が見つからないからです。暦通りの仕事に従事しているほとんど全員がそうかもしれませんが、ウイークディにウキウキ感を持てるような意識改革が出来るといいなぁと感じます。

ニーヴェルスンの黒い箱

20世紀アメリカで活躍した女流彫刻家ルイーズ・ニーヴェルスンをどこで知ったのかよく覚えていませんが、それほど昔ではないような気がします。自分が大学で彫刻を学んでいた頃、ギャラリーせいほうが「現代彫刻」という雑誌を発行していて、自分は定期購読をしていました。その雑誌にニーヴェルスンの作品が載っていて、それを見て衝撃を受けたことは今でもよく覚えています。あるいはその時が初めて見たのかもしれません。縁あってギャラリーせいほうで、ここ数年自分の個展を企画していただいています。ニーヴェルスンの実際の作品に出会ったのは、千葉県にある川村記念美術館に行った時です。それは黒い祭壇のようでもあり、棺が並んでいるようにも見えました。木の廃材を寄せ集め、それらを箱の中に押し詰めて、全体を黒で塗装する作風は、木材の材質感を別のものに変容させてしまいます。ニーヴェルスンの彫刻は異様な世界を創出し、その存在感は圧倒的です。自分の陶彫が黒を基調としているのもニーヴェルスンの影響があると思っています。自分の脳裏のどこかにニーヴェルスンの黒い箱が潜んでいるのです。

マックス・ビルの造形

高校時代、美大受験のため通っていた予備校で、スイス人造形作家マックス・ビルの作品を知りました。自分はその頃、大学で工業デザインを学びたくて、受験用のデッサンや構成の勉強をしていました。バウハウスやその思想を継承したウルム造形大学を知ったのもその頃です。昨日、モンドリアンの幾何学的抽象絵画についてブログに書きましたが、その先端たるマックス・ビルのことを思い出し、今日のブログに書いている次第です。マックス・ビルは数学的な造形思考を推進したマルチアーティストで、彫刻作品は箱根の彫刻の森美術館で見ることができます。それは石の角柱を組み合わせた巨大な作品で、野外の木々の間に置かれています。感情的表現を一切排除した作品は、自然の中で人間の理知を主張しているかのようです。マックス・ビルの仕事で知名度が高いのは時計のデザインです。簡潔で機能性を重視したデザインは現在でも古びることがありません。「我々は今、原点にもどり、創作による機能を追究するのだ。」というマックス・ビルの言葉通り、彼は必要最小限のデザインの製品化を実践したのです。

モンドリアンの矩形

オランダ人画家ピエト・モンドリアンの絵画との出会いは、中高生の頃に美術の教科書に掲載されていた図版です。たしかカンディンスキーが「熱い抽象」、モンドリアンが「冷たい抽象」との記述がありました。そこには木の枝を描いたモンドリアンの絵画がしだいに時と共に抽象化をしていって、最後に太く黒い直線と三原色による単純な幾何学的抽象絵画になるまでの過程が載っていました。同じオランダ出身のファン・ゴッホが、モンドリアン18歳の時に若くして悲劇的な死を迎えたことを考えると、近代を代表するゴッホと現代の象徴のようなモンドリアンに、たいして世代の違いがないことにちょっとした違和感を覚えます。モンドリアンはピカソの10歳年上と考えると、モンドリアンの革新さは一層光ります。モンドリアンは当時の立体派ではなく、完全に絵画的空間を壊そうとした言わば前衛だったように思います。大学時代に版画雑誌でモンドリアンの「ブロードウェイ・ブギウギ」を知りました。そこには黒い線はなく、小さな色とりどりの矩形が並んでいました。そのグラフィック的な表現は、絵画とデザインのボーダレスの時代を生み、芸術が建築の世界にも広がる契機を作ったと思っています。モンドリアンの矩形の美は、永い追求の果てに見出されたもので、それ故画面に配置された複数の矩形の絶妙なバランスに魅せられてしまうのではないかと思います。

イサム・ノグチの陶彫

「ノグチは陶器を彫刻として焼いている。すくなくとも彫刻家でなければ興味をもたない仕方で焼いているといってよいだろう。もちろん西洋流にいえばテラコッタ彫刻の伝統があって、そこから彼は一跨ぎで日本の陶器の世界にはいってきているのである。だからこれらの作品の多くが、生地をいかした焼き方であるのも自然である。ところが日本人のいまの概念からすれば、陶器は焼成技術による色彩と質感の洗練とともに形態も完成の域に達して、ほとんど固定してしまっているし、彫刻もまた東洋的なものであれ西洋的なものであれ、様式としては固定してしまっているといってよい。要するにジャンルとして発達し独立してしまった両者の正統的な立場からすれば、ノグチの作品は陶器でもなく彫刻でもないという不安定な状況に見えるかも知れないのである。」(「瀧口修造全集2」より)自分が彫刻の一素材として取りあげた陶による造形は、京都の走泥社より遡って、イサム・ノグチによって初めて表現されたものであることが上記の評論で知ることが出来ました。ノグチは埴輪を発想の源として、数々の陶彫を作り、独立して固定してしまった2つの領域に革新を与えたと自分には思えます。

週末 窯入れ等

今日は化粧土の配分を変えて化粧がけを行い、仕上がった作品5点を窯に入れました。いきなり本焼きで、ゆっくりなペースで温度を上げていくパターンを選んでいます。1230°になったところで上昇が落ち、あとは自然に温度が下がるのを待つのです。3日くらいはこのままです。先週と同じく水曜日くらいに様子を見にきます。陶彫成形は、昨日タタラにした陶土がまだ柔らかかったため作ることができませんでした。立体として立ち上げていくためには、タタラの腰がもう少し強くないとヘタってしまうのです。今日はRECORDの彩色をやって、早めに工房を出ました。普段から疲れが溜まっていて、今日は今ひとつ身体の動きが緩慢だったので、夕方は休息をとることにしました。長丁場の作業は無理をしないことです。とくに真夏や真冬の作業は、自分が意識している以上に身体は疲れているように思います。風邪を引かずに仕事が出来るのは、この身体と心の匙加減かもしれません。土壇場で一気呵成に仕事を片付ける人がいますが、自分はそうした方法で仕事が出来ません。若い頃ならともかく今は休まず焦らず仕事をすることが一番と考えます。

週末 窯出し等

今週月曜日の夜に窯のスイッチを入れ本焼きを始めました。水曜日と木曜日の仕事帰りに工房に立ち寄って、窯の温度を確かめました。木曜日には100°台になっていたので、スイッチを止めて窯の扉を開いてみました。まぁまぁの出来かなと思いました。ウィークディは作品を窯から出して見る余裕がなく、結局週末になって本焼きされた作品をじっくり見ることになりました。化粧土の配分をもう少し変えようと思います。黒一色に近くなって面白みに欠けるようです。ともあれ5点の作品が出来ました。全体からすれば、まだまだ完成は遠いと言わざるを得ません。週末毎に窯入れしていかないと間に合わなくなりそうです。今日はボランティアの子に土錬りを頼んで、自分はタタラを用意したり、RECORDの彩色をしました。いつものような作業をしている週末の風景ですが、底冷えのする寒さに手が悴んでしまいました。陶彫の作業は手がガサガサになります。明日は成形の作業があります。手を労わりながらやっていくつもりです。

印のデザインを考える

新作には新しい印を彫って、それを押しています。とくにパーツで成り立つ集合彫刻では分解した時に、それぞれの作品のパーツがわからなくなる可能性があります。そこで新作には必ず新しい印を作って押すという習慣がつきました。陶彫の場合は和紙に押印して番号をつけ、それを陶彫の目立たないところに貼り付けています。保存状態が悪かった作品は、多少印が滲んだり番号が擦れたりしています。RECORDも同じです。小さな印を作って押して月日をつけています。現在「構築〜瓦礫〜」と4年目を迎えたRECORDが進行中です。そろそろ印のデザインを考える時がやってきました。印は篆刻の決まりに拘らずに自由に作っています。アルファベットでもいいのではないかと思っています。絵柄を入れてもいいかもしれません。陶彫用の印とRECORD用の印。これも楽しんで作ってみたいと思います。朱と白の織り成す小宇宙は、一番小さな抽象絵画とも言えます。

フジタが作った礼拝堂

昨日マチスが作ったロザリオ礼拝堂のことをブログに書きました。引き続き今回は藤田嗣治(レオナール・フジタ)の作った平和の聖母礼拝堂について取り上げます。平和の聖母礼拝堂はフランスのランスにありますが、自分はまだ行ったことがありません。ロザリオ礼拝堂と同じようにテレビや雑誌で紹介されて、フジタ晩年の宗教画を知った次第です。日本人としての藤田嗣治の大規模な展覧会は東京で見ています。藤田は卓越した描写力と独特な陰影によって、肌理細やかで密度の濃い個性的な絵画を作り上げ、後にフランス国籍になり、名前もレオナール・フジタになっても、その本質は変わるものではないと思います。宗教的な題材は早いうちから出ているようですが、やはり晩年の礼拝堂で発揮された表現力は、それまでの藤田流絵画の面目躍如としたものがあって壮大です。フジタのアトリエも含めて、平和の聖母礼拝堂は生涯一度は訪れてみたい場所です。画像で見る限り内部空間の凝縮した宇宙は、キリスト教徒でなくても、その芸術性の高さに魅せられること間違いなしと思っています。フレスコ画とステンドガラスの織り成す空間を、じっくり味わってみたいと願っています。

マチスが作った礼拝堂

画家アンリ・マチスはピカソと並ぶ20世紀最大の巨匠です。マチスは色彩の画家と呼ばれ、とくに自分はマチス晩年の単純化した作品が大好きです。そんなマチスが最晩年に作った礼拝堂があります。テレビや雑誌で紹介されていますが、自分はまだそこに行ったことがありません。いずれ時間が出来たら行ってみたい場所のひとつです。それは南仏ヴァンスにあるロザリオ礼拝堂。写真で見るとステンドガラスから入る光が、内部の白壁に色彩を落として何とも美しい空間を感じさせます。白壁に線のみで描かれた聖ドミニク像があるようですが、のびやかなタッチで描かれた壁画を一度じっくりこの目で見てみたいと思っています。「特にカトリック信者でもなく、かつては異教徒のようにさえ見られていたマチスだが、こうした宗教的な仕事をしたことについては、いろいろ推測されたが、直接の動機は極めて自然に訪れたのであったし、彼があくまで人間的な画家であったことの一つの自然な帰結であったと思えるほど、その仕事には無理が感じられないのである。〜以下略〜」(瀧口修造全集2より)画家として、作品を空間の中で息づかせることが出来るなら、それは理想であり、ましてや己だけの世界観をそこで表出できるなら、芸術家として生きた最高の証ではないかと自分には思えます。

「構築〜瓦礫〜」完成の目安

先日、カメラマンが新しい図録の打ち合わせに来ました。今年7月の東京銀座での個展にあわせて、搬入日から逆算して図録を作る日程を決める打ち合わせでした。図録用の作品撮影日は遅くても3月末と決めました。昨年は3月22日が撮影日でした。今年も昨年通りに出来ればベストですが、制作工程が遅れていて、3月後半に間に合わせるのは至難の業と言わざるをえません。それでも何とかしようと頑張るつもりです。昨年やっていた「構築〜起源〜」は木彫だけで作った作品で、仕事量で言えば昨年の方が多いのです。ただし、陶彫は作業している時間よりも乾燥待ちや焼成待ちの時間があって、運を天に任せることがあります。つまり陶彫は、木彫のように仕事した分だけ確実に完成に近づくものではなく、焼成が失敗すれば、それまでやってきた土錬・成形・修整・仕上げ・化粧がけがすべて無駄になるわけです。そこが陶彫の無情で虚しいところであり、また面白いところでもあります。一か八か3月後半までに上手くいけば儲けものというくらいの気持ちでやっていきます。こればかりは火炎の神さまに祈るしかありません。

三連休 最終日は窯詰め

今日は三連休最終日。陶彫の作業は昨日成形した作品の修整のみに留めて、今日はむしろ今までの修整済みの作品に仕上げを行い、化粧がけをしました。いよいよ作品のいくつかを窯に詰めるための最終作業です。窯の大きさを考えて、とりあえず今日は5点仕上げました。自分の作品は釉薬を使わないので、焼成時間の微妙な長短にはあまり気を使いません。完全に乾燥しているのを確認した上で、素焼きを省略していきなり本焼きを行うのです。本焼きの温度の上昇時間はたっぷり取ります。ただ窯詰めで気になると言えば、陶彫は炉内に隙間が多く出て、もったいないと思うことです。こればかりは器のようにぎっしり詰めることができません。大小のパーツを上手く組み合わせて詰めていきますが、それでも無駄な空間があります。もっと時間があれば、工芸的な小品をたくさん作れて炉内の空間をうめることもできるのですが…。何はともあれ焼成が始まったことで、やっと陶彫を作っている意識が芽生えてきました。今日はRECORDの彩色の続きも行いました。一日1枚ずつペンで描いている今年のRECORDですが、彩色は数枚まとめてやっています。これも新たな展開が始まっています。作業はまた来週末に持ち越しですが、今は一晩かけてやっている焼成が上手くいくことを祈るのみです。

三連休 制作状況

現在の制作状況を書いておくのは、今後のメモとして残しておくためです。昨年の「構築〜起源〜」の状況もブログで確認しながら、現在やっている新作の進行状況をチェックしているのです。当然作品の制作工程が異なるので、参考にならないところもあります。今年の三連休は新しい窯に小品を入れて焼成の具合を確かめています。明日か来週には「構築〜瓦礫〜」のパーツを窯に入れる予定です。今日は新たな陶彫成形と修整を行いましたが、窯が気になって思うように制作が捗りませんでした。RECORDの新シーズンの彩色も行いました。今年はペンで画面の一部に描写をしていて、描写部分と平塗りの部分をどう画面に収めるかを考えながら彩色しました。陶彫作品もRECORDも少しずつですが、変化しているように思えます。昨年出来た工房という環境の変化が影響しているのかもしれません。気分的にはじっくりやれるように感じていますが、昨年のように横浜市民ギャラリーのグループ展には出しませんし、借りている作業場ではないので、返って焦りを感じずにダラダラしてしまう危険なところもあるかもしれません。明日も制作続行です。気を引き締めてやっていこうと思います。

窯の試運転の日

昨年夏に窯を入れて、やっと試運転の日を迎えました。試運転は窯の中の湿気を抜く目的もあります。窯を入れてくれた業者にも立ち会っていただくことになりました。初めは素焼きの温度設定でやってみることにしました。工房に窯が入って初めての焼成です。これは記念すべき一日かもしれません。明日結果がわかります。焼成中、自分は相変わらず陶彫成形に追われていました。なにしろ窯入れがあろうがなかろうが、制作ノルマがあるので必死な作業が続きます。今日から三連休です。密度の濃い制作日程が待っています。窯から微かな臭いが立ちこめる中で成形2点をやり、すでに成形の終わった数点の修整を行いました。作業しながら窯の焼成の時に出る音が静かなのに気づきました。新しい窯が進化しているのを実感しました。ちょうど窯の試運転をしていた夜、図録撮影等でお世話になっているカメラマンが打ち合わせに来ました。今年7月の個展の新しい図録に関する打ち合わせです。三連休の初日に、今後に向けて創作活動が滑り出していく気配を感じました。

Page 1 of 4312345102030...Last »