タトリンによる「第3インターナショナル記念塔」

先日訪れた埼玉県立近代美術館で開催中の「インポッシブル・アーキテクチャー」展で、入り口にあったウラジミール・タトリンによる「第3インターナショナル記念塔」に思わず足が止まりました。展覧会の最初の作品にインパクトの強さを感じてしまったわけですが、斜めに立ち上がった鉄塔に自分好みのアートな雰囲気を読み取って、まさに彫刻的なイメージを重ねていました。私は集合彫刻による塔を幾つか作っています。現在作っている「発掘~双景~」も2つの塔が繋がっている作品です。図録によると「《第3インターナショナル記念塔》は、ソビエトの人民教育委員会のメンバーであったアーティスト、ウラジミール・タトリンが構想した革命政府のモニュメントである。~略~ロシア構成主義を代表するこのプランは図面と模型のみで終わったが、興味深いのは、それがピーター・ブリューゲルやギュスターヴ・ドレが描く螺旋形の《バベルの塔》を髣髴とさせなくもないことだ。~略~シンボリックな塔の思想には、時としてそれを崩壊に導く(もしくは実現を阻む)要因があらかじめ装填されているのである。」(建畠晢著)とありました。「第3インターナショナル記念塔」はロシア革命及びロシア・アヴァンギャルドの象徴的プロジェクトでした。鉄製の二重螺旋の内部にはガラスの建造物が4つあり、国際会議が出来る立方体のブロック、行政機関が入る三角錐のブロック、情報センターが入る円柱のブロック、最後にラジオ局の入る半円形のブロックが計画されていたようです。螺旋の構造は地軸の傾きと同じ23.5°あって、それに関する説明が図録にありました。「引力を克服したいという目論見を形態が帯びており、螺旋は解放された人間の運動の軌跡であると解釈している。」引力の克服というのは、言葉を変えれば重力への挑戦として捉えられます。それはまさに彫刻的な考え方であって、それ故に独特な形状に自分が惹かれた由縁かもしれません。日本人の映像作家が「第3インターナショナル記念塔」をロシアの街中に画像処理をして作り上げていました。突如現れた怪物のような構造物に目を見張りました。架空の風景は「インポッシブル・アーキテクチャー」展の本領としての発表に相応しく、その存在感は忘れられない印象を残しました。

浦和の「インポッシブル・アーキテクチャー」展

先日、埼玉県浦和にある埼玉県立近代美術館で開催中の「インポッシブル・アーキテクチャー」展に行って来ました。現代建築の中で完成に至らなかった斬新な構想や、提案だけになってしまった刺激的な企画など、過去を振り返るとアンビルドの建築の中に豊穣な潜在的構想を見出し、都市計画は単なる住居群や広場を作ることに収まらない深層的な空間を提供することを改めて認識した次第です。本展が企画に至った契機が図録にありました。「本展の構想が明瞭になったのは、2015年7月、コンペに当選したザハ・ハディド・アーキテクツ+設計JVの東京オリンピックのメーン会場となる新国立競技場のプランが白紙になったというニュースを聞いた瞬間であった。」(建畠晢著)身近なニュースとして記憶に残る事案もアンビルドの建築になったことで、改めて本展で競技場のユニークな構造を知り得たのでした。「キール・アーチ構造によるこのプランは流れるような曲面の屋根のふくらみを特徴とする有機的な形体で、ポストモダンがいわれて以降の建築で、デザイン的な要請と構造的な必然性とが合致した稀有の作例となるはずのものであった。」(同氏著)本展はこれに限らず、私を刺激する作例に溢れていて、たとえば荒川修作+マドリン・ギンズによる「問われているプロセス/天命反転の橋」もそのひとつでした。嘗て私は岐阜県にある「養老天命反転地」を訪れたことがあって、その系統に属する構築物であることはすぐ分かりました。本作はフランスのモーゼル河にかける橋として構想されたもののようですが、実現してはいません。さらに刺激的だったのはウラジミール・タトリンによる「第3インターナショナル記念塔」でした。これは別稿を起こそうと思います。出品作品を1点ずつ見て回って、「インポッシブル・アーキテクチャー」という意味をもう一度考える機会を持ちました。

映画「ヨーゼフ・ボイスは挑発する」雑感

先日、横浜の伊勢佐木町にあるミニシアターに映画「ヨーゼフ・ボイスは挑発する」を観に行きました。20世紀ドイツで最も有名な芸術家と言えばヨーゼフ・ボイスです。私が大学で彫刻を学んでいた頃に、ボイスが来日し、西武美術館で個展を開催しましたが、実際にはボイスの社会彫刻という概念が理解できず、インスタレーションを見ても刺激されることもありませんでした。でも私はボイスの行為を理解しようと努め、関連書籍に頼りました。ボイスの発した思想が漸く分かりかけたのは20年も後になってからでした。映画ではボイスの台詞や行為が大半を占め、肉声を通じて鑑賞者に考えさせる内容になっていました。「芸術を拡張せよと訴え、社会の中での『対話』そのものが芸術だとしたヨーゼフ・ボイスの作品(対話)は、言葉の問題があったのか、1984年の来日当時はなかなか理解されなかった。」という一文が図録に掲載されていました。ボイスの拡大された芸術概念とは何か、またその動機となったものは何か、図録から拾ってみます。「1920年代頃には『資本主義ではなく、共産主義ではなく、第三の道へ』というスローガンがとなえられていたが、現実の社会では結果的にナチズム、ファシズムを第三の道として選択してすすんだ歴史がのこっているが、その間違いをふまえボイスはあらためて苦難にみちた第三の道を彼なりに探究することを決行し、芸術がその活動の場にもっともふさわしいと判断し、芸術活動を実践していったのだ。」(白川昌生著)ボイスにとって社会を変革することが芸術行為となり、さまざまな活動を通して人類による差別や抑圧、弾圧、迫害、搾取の歴史を告発し、人々に一石を投じようとしたのでした。ボイスの考えは現在の日本がおかれた状況にも当て嵌まります。「自然破壊を危惧し、金融資本主義を批判し、直接民主主義を唱えたボイス。木材の輸入で東南アジアの森林破壊を促進している東京オリンピックの競技施設、社会保障より優先される株価の上昇、差別的な発言をはばからない国会議員といった2019年、ポスト・フクシマの日本に彼が降り立ったら、一体なんと言うだろうか。」(高橋瑞木著)

週末 都心の展覧会&夕焼けだんだん

今日は工房での作業は中止しました。昨日の焼成の失敗が後を引いていて、今日一日は制作を中断したのでした。その代わり今日は家内と都心の美術館に鑑賞に出かけました。朝9時に自宅を出て、向ったのは北浦和にある埼玉県立近代美術館でした。横浜から遠い位置にある美術館のために、到着した頃には昼食の時間帯になっていました。家内は美術館併設のレストランで食事を取るのが好きです。ガラス越しに野外彫刻を眺めながら食事を取るのは、なかなか興趣に富んでいいものだなぁと思いました。開催中の展覧会は「インポッシブル・アーキテクチャー」展で、所謂実現に至らなかった建築物の設計図や模型を並べて、その可能性を探る試みと言える展覧会でした。建築が好きな私には格別に楽しい展示内容で、暫し興奮を覚えました。ザハ・ハディド案による新国立競技場の模型や図面もありました。コスト増によって頓挫した企画でしたが、UFOが降り立ったような流線型の外見に未来建築のあり方を見たように思いました。詳しい感想は後日改めます。次に東京の日暮里に移動して、朝倉彫塑館を訪れました。日本を代表する具象彫刻家朝倉文夫の邸宅を美術館にした朝倉彫塑館を、私は一度見てみたくて、漸く今日ここに来たのでした。故朝倉文夫は肖像彫刻で有名な人でしたが、可愛らしい猫の彫刻も数多くあって楽しめました。それにしても古木や巨石を配置した池を有する庭園や、菜園が出来る屋上もあって、朝倉彫塑館の環境に驚きました。朝倉文夫ワールドに関しても感想は後日に改めます。朝倉彫塑館からちょっと歩くと谷中銀座があり、多くの観光客がいました。私たちもこの商店街をブラブラと散策しました。猫グッズを売っている店が目立ち、私たちも猫のしっぽと名付けられた焼き菓子を食べながら、店を冷かして回りました。ここは「夕焼けだんだん」と呼ばれている階段があります。野良猫や飼い猫も多くいて、下町情緒があり、テレビの情報番組で取上げられたことで人気スポットになったようです。揚げ物も買って食べ歩きを楽しみました。ちょうど夕方になっていたので、まさに夕焼けだんだんの雰囲気に浸りながら、谷中銀座を後にしました。

週末 母の通院付添い&映画鑑賞

やっと週末になりました。この1週間は来年度に向けての取り組みが始まり、私は来年度の職場運営の構想を練りつつ全職員と面接を行いました。少しずつ疲労が溜まってきていたので、今日は週末の有難味を感じます。今日の午前中は介護施設にいる母の通院に付き添うことになりました。普段は家内がやってくれていますが、朝から工房に行く気になれず、母の用事を優先することにしたのでした。母は93歳になります。介護施設から病院までは歩いていける距離で、私が母の車椅子を押して、家内と3人で病院に向いました。途中の道には花が咲いていて、春先の雰囲気に満ちていました。昼ごろに病院から介護施設に戻って来ました。そこから家内を邦楽器の練習場に送り、午後は工房に行きました。工房ではショックなことが私を待ち受けていました。先日窯入れした2個の陶彫部品が、窯の扉を開けてみると大きく割れていたのでした。これは修整不可能で2個とも作り直しになります。原因は陶土の乾燥がすっかり出来ていなかったのではないかと思いました。以前にもこうした失敗がありました。陶彫を始めて間もない頃は、何度もあった初歩的な失敗でしたが、今回はつい焦って先を急いだ結果でした。ウィークディの仕事の疲れが残っている時に、追い討ちをかけるような失敗に内心落ち込みましたが、こればかりは気を取り直して頑張るしかありません。気持ちをリセットするために時間をおくことにしました。そうしたこともあって、夕方私一人で映画に行くことにしました。家内は演奏からまだ帰っていなかったので、一人で出かけました。常連にしている横浜のミニシアターではなく、今回はそこからちょっと離れたミニシアターに行きました。観た映画は「ヨーゼフ・ボイスは挑発する」。ドイツが生んだ現代美術の革命家ヨーゼフ・ボイスの表現行為をドキュメンタリーにまとめたもので、嘗てボイスの書籍を貪り読んでいた私にとって、これは必見だなぁと思っていました。ボイスの社会彫刻という考え方に共感するとともに、64歳でこの世を去るまで創作活動に邁進したボイスの生涯を見て、私は創作への飽くなき挑戦という勇気をいただきました。詳しい感想は後日改めます。

東西の祈りの空間について

宗教の違いはともかく人が何かを祈る場面で、凛とした空気を感じるのは私だけでしょうか。私は特定な宗教は持ちませんが、祈りの空間にある静謐な空気の感触が大好きです。西欧で暮らしていた若い頃は、よく教会を訪れていました。キリストの磔刑像やステンドグラスを見るのが好きで、時間によって刻々と変化する光陰の効果を味わっていました。西欧のゴシック建築は上へ伸びる複数の石柱が、魂を天に導くように演出していて、ある種の快さを感じさせてくれました。パイプオルガンも荘厳な響きがあって空間と音響が織り成す非日常的で、極めて西欧的な感覚に基づいた昇天気分を齎せてくれます。それはキリスト教を、私が知識ではなく皮膚感覚で知った瞬間でした。日本では石作りの教会が少ないため、そうした皮膚感覚はありません。日本独特の小さな母屋の中で聴く合唱や祈りの言葉に接して、信者はキリスト教を受け入れている感覚を私は持っています。日本での荘厳な祈りの空間は何と言っても仏教の寺院です。そこにある複数の木柱は、教会とは異なり魂を天に導く感覚はなく、どこか異界に魂を収めていく感覚を私は持っています。西欧は気候が乾燥しているのに比べ、日本の気候は湿潤に包まれているためなのか、若しくは石作りと木作りの素材文化の違いのためなのか、祈りの空間はまるで異なる雰囲気があって、日本ではそうした仏教伽藍の中にいるのも、私にはある種の快さを感じさせてくれます。祈りの空間とは一体何なのでしょうか。聖書や経典による教えを紐解くだけではない何かがそこにあるように思えてならないのです。宗教とは縁のない人たちが教会や寺院を訪れた時に敬虔な気持ちになってしまうのは何故でしょうか。私は美術的な興味関心があるだけですが、教会や寺院は美術館とは異質な空間があり、そこに敬意を払う気持ちにさせられます。そこに漂う濃密な空間をどう説明するのか難しいところですが、祈る行為は宗教とは関係なく存在していて、人々の思いがそこに凝縮されているとでも言ったらいいのでしょうか。祈りの空間は東西を問わず、特別な空間であることに変わりはなさそうです。

疲れが取れない日々

この1週間は来年度を見据えた取り組みが始まって、私は多くの職員と面接を行いました。職場のことを書くのは避けたいところですが、今日は朝から晩まで職員一人ひとりと話をしていました。全員が気持ちよく仕事が出来る環境を作ることが私の役割です。そうすれば仕事はスムーズに回ります。適材適所に人を配置して、その人がもつ能力をフルに生かせるように考えて、理想的な職場を毎年目指していますが、こればかりは来年度が始まってみないと分かりません。この時期はとにかく疲れが溜まります。朝まだ暗いうちに起きてしまって、あれこれ仕事のことを考えてしまう悪癖が私にはあります。他の職場の管理職も同じであることが先日分かって、皆で悩みを吐露し合いました。私たち管理職は人事を行うためにいると言い切る人もいます。確かに年間を通して職員を観察している自分がいて、心が休まることがありません。疲れが取れないのは職場だけに限ったものではなく、創作活動も同じです。私が作る集合彫刻は、陶彫部品を組み立てていきますが、この時期は組み立てながら全体構成を考えることがあって、精神的には圧迫を覚えます。部分を作っているより全体を考える方がシンドいと思っています。疲れが取れない原因はこんなところにもあると思います。毎年この時期はこんなに疲れていたっけ、ひょっとすると加齢のせいかなぁとつい考えてしまう自分が悲しいと感じています。

「発掘~双景~」について

陶彫による新作を作るたびに、私はイメージの源泉を遡って、そこから題名を考えています。題名は制作が進んだ頃に考えるようにしています。私のイメージは言葉ではなく、象徴的で視覚的な風景を伴って現れてきます。20代の頃に地中海に広がる遺跡の数々を見て、その具現化に努めてきましたが、既に当時の記憶も薄れがちで、現在では自分の精神世界に新たな風景を構築している感覚を持っています。古代の出土品のような陶彫の装いは、陶土の配合や化粧土によって叶えられた表現で、もう20年も同じ素材で作っています。これをなかなか捨てきれず、この素材があればこそ展開できる「発掘シリーズ」になっていると言っても過言ではありません。新作は2つの塔が繋がるように配置する集合彫刻で、題名を「発掘~双景~」にしました。最近は題名に「景」の文字を入れています。やや小さめのテーブル彫刻も作り始めますが、ここにも「景」の文字を入れる予定です。自分の中で風景を造形化する意識があって、陶彫による複数の部品を集めて、場としての空間を設定するようにしているのです。集合彫刻は組み合わせの角度を微妙に調整することで、作品の雰囲気が変わります。工房で作りながら組み合わせた時の雰囲気と、ギャラリーで展示する時の雰囲気はまるで違います。そこが面白いところです。陶彫は風雨に当たっても問題がないので、野外でも展示できます。将来は広い野外で陶彫部品を点在させる展示が出来ればなぁと願っているところです。

代休 牛歩のような制作

今日は日曜出勤の代休でしたが、昨日の大きなイベントの疲れが出て、なかなか工房に行く気が起こらず、それでも朝9時には工房で土練りを始めました。少し作業をしては休憩を取り、また作業をする繰り返しで、牛歩のようなゆっくりした制作になりました。今日は5時間ほど工房にいましたが、いつものように制作が捗らず、ぐったりしていました。いろいろな彫刻の素材の中で、粘土は私にとって快い素材で、土練りをしていると心が落ち着いてきます。どんなに疲れていても土に触れていると精神的な安定が得られます。それは彫刻に限ったことではなく、若い頃亡父の手伝いをして造園をやっていた時も、植樹のために穴彫り作業をよくしていましたが、それは苦痛ではありませんでした。誰もが嫌う肉体作業でしたが、私は平気でした。土に触れるということが私と相性が合うのかもしれません。ゆったりした作業の中で、若い頃に見た地中海の大地を思い出していました。そこに風化した石材で出来た遺跡の数々がありました。私の作品イメージの原点がそこにありました。忘れかけていた風景が甦り、それを象徴化することで「発掘シリーズ」が始まったのでした。そろそろ新作にタイトルをつけなければならず、記憶の彼方から甦った風景と現状の作品を見比べながら、タイトルをあれこれ考えました。制作工程を先へ先へと進める日もあれば、今日のような牛歩の制作日があってもいいかなぁと思い、こんな日は立ち止まって、もう一度原点を探る時間を持とうと思いました。嘗てそこで営まれていた古代の生活や建造物を、歴史の事実を解明することではなく、現代の眼を通すことで完全に美的価値として捉え、彫刻に再生すること、これが私の作品と言えます。だから「発掘シリーズ」に学術的根拠はありません。創造的なイメージがあるだけです。あらゆるものから自由に解放されているからこそ芸術なんだと思っている節が、私にはあります。今日はぼんやりした中で、暫し立ち止まり、こんなことを考えていました。 

命を繋ぐ思いをこめて…

今日は3.11です。8年前に未曾有な被害を齎せた東日本大震災。横浜でも大きな揺れがあって、物資の運搬経路が一時ダウンし、自然災害の影響力を感じ取った日々を今でも忘れることが出来ません。もうあれから8年も経ったのかという実感を持ちますが、東日本大震災後もあちらこちらで震災が起こり、今でも熊本城のような歴史的遺産の復元作業が進んでいる最中です。私たちは日本で生活する以上、こうした自然災害と付き合っていくしかないと思っています。私は毎年この日になると職場の放送機器を使って弔意を述べ、1分間の黙祷を捧げてきました。今日は職場では儀礼的なイベントがあり、職場を上げてお祝いをする日になっていました。今日は黙祷や半旗を掲げることはせず、私の式辞の中で東日本大震災に触れ、震災で亡くなった多くの方に報いるために命を繋ぎ、安心できる未来を作っていこうと呼びかけました。内容の導入として、先日わずか268グラムで生まれた赤ちゃんが無事退院したニュースを取上げました。それに関わって朝日新聞の天声人語にこんなことが掲載されました。「人間は誰でも未熟な段階で生まれてくる。それが他の動物との大きな違いである。馬のように生後間もなく駆け出すこともできず、猫のように生まれて数週間後に自分で食べ物を見つけることができない。」という文章でした。これを利用して、人間は親の保護がなければ育つことができず、命を繋ぐことができないと私は話を続けました。その代わり人間には学習に対する伸びしろがあり、言葉を話し、道具を使い、知恵を絞る特長がある、人間が命を繋ぐためには周囲の庇護が必要なのだ、人間は人と関わることで豊かな未来を作っていけるという内容を述べさせていただきました。私は毎年3.11を命のことを考える日と決めています。私がやっている創作活動も鑑賞する人に、私たちが生きている空間とは何か、空間的美意識とは何かを伝えていくもので、命を活性化するもののひとつではないかと自負しています。何もないところから創造して、何かを作りだせる能力は、人間だけに与えられた素晴らしい力だと私は常々思っていて、それが私を突き動かしている原動力なのだろうと考えています。

週末 休日出勤の日

今日は休日出勤日です。明日は職場として1年間を通して一番重大なイベントがあるため、今日はその準備出勤なのです。このNOTE(ブログ)では、横浜市の公務員管理職としか私の身分を表明していませんが、多くの同僚がNOTE(ブログ)をご覧になってくれているので、既にバレてしまっているところはあります。しかしながら職種の情報の拡散を怖れて、敢えて立場を申し上げていないのです。私をはじめ多くの横浜市職員が、それぞれの職場で明日のイベントを迎えようとしています。職場によっては、今日は休みにしているところも数多くありますが、私の職場では通常勤務にしました。そのため今日はさすがに創作活動は出来ませんでした。代休は火曜日に取っていますが、私は夕方職場に出勤する用事があるため、完全に休めません。日曜日は他の機関からメール等が入ることがないので、私も明日の式典のための準備が出来ました。明日は3.11です。東日本大震災から8年が経とうとしています。あの未曽有の震災のことを思い起こす度に辛い気持ちになります。私は3.11の午後になると職場の放送機器を使って、内外に弔意を示し、黙祷を捧げてきました。今回は職場の式典があるので、例年のような黙祷はしませんが、その代わり私の式辞の中で、命を繋ぐ大切さを訴えていこうと思っています。日本に住んでいる以上、自然災害に見舞われる機会が少なからずあります。そのための防災訓練を毎年やっています。国際的に見れば日本ほど防災訓練を頻繁にやっている国はないのではないかと思っているところです。東日本大震災は8年経っても鮮明に覚えていて、風化できるようなものではありません。その後も自然災害は後を絶たず、自分の身を守る意識は高く持っているつもりです。そんな思いを明日の式典の中で吐露しようと思っています。

週末 一日だけの制作日

明日は職場で休日出勤する日になっていて、週末の休日は今日しか取れません。週末が2日取れれば、陶彫制作が順調に進むのですが、一日だけとなれば、制作サイクルを少々遅らせて足踏みすることになります。今日は彫り込み加飾2個と、乾燥した陶彫部品に仕上げと化粧掛けを施しました。通常の制作サイクルなら明日の成形のために大きなタタラを数枚用意するところですが、今日は止めました。今日は久しぶりに若いスタッフが工房にやって来ました。彼女は中国籍のアーティストで、グラフィックデザインを大学院で専攻していました。現在はその大学で助手をやっています。入試の業務が無事終わり、次は新入生を迎える準備があるそうです。毎年中国人留学生が増えているので、彼女の仕事は多忙になっているのではないかと思っています。いつも笑顔でいるので、彼女の辛さが分かりませんが、グローバルな教育には欠かせない人材であることには変わりはないでしょう。今日は早めに彼女を最寄の駅まで車で送りました。今日は花粉症が気になりました。若い頃に比べれば、花粉症が多少改善されていると自分では思っていましたが、今日はクシャミが止まらず、作業が度々中断しました。次回は制作を先に進めなければならないと思いました。

コトバと彫刻について

私は彫刻に関わるようになったのは大学の1年生からで、それまで工業デザインを専攻するつもりだった私が、極端な方向転換をして初めて彫刻に出会ったのでした。本格的な立体表現を知らなかった私は結構混乱して、そこから半ば自嘲的で内密なメモ書きをノートに残すようになりました。立体把握に困難を感じていた私は、そもそも自分に彫刻は向かないのではないかとさえ思っていました。今もその感覚は忘れていません。立体把握が面白くなりかけた時期になると、素材を扱う困難さに直面していました。粘土、木材、石材、金属、どれをとっても自分のものにならず、あまけに表現の自由を奪っているものは、何といっても素材の重力でした。当時のメモ書きはそんな不満や不安が綴られていたのではないかと述懐しています。大学卒業時に焚火にしてしまったメモなので、今では私の記憶が頼りですが、そこには詩らしきものも書いてありました。その中で「蝙蝠」という詩の題名は覚えていますが、内容は思い出せません。母方の祖母に見せたらクスっと笑われました。詩への関心は高校1年生の現代国語の教科書に掲載されていた詩が契機になり、そこから詩作する試みが始まりました。草野心平、谷川俊太郎、黒田三郎、西脇順三郎の詩から始まり、書店に出入りするうちに寺山修司、白石かず子、富岡多美子などに興味が移り、自宅の書棚に詩集が増えていきました。言うなれば私の関心は海外の詩人よりも日本人の現代詩から始ったのでした。大学に入ると美術評論を書いている大岡信、瀧口修造の著作が増えていきました。詩と彫刻双方の分野に足跡を残した芸術家となれば、お馴染みの高村光太郎がいます。私は彼が生きた環境が知りたくて、晩年の光太郎と智恵子が住んだ岩手県の寒村を訪ねています。私自身は詩の創作が出来ているとは言えません。詩は彫刻よりも早く芽生えた創作分野でしたが、彫刻の方がいち早く自己表現の方向性を定め、個展を開催できるまでになりました。彫刻をイメージする際に詩心が必要なのは言うまでもなく、私が密かに育んだ詩は、造形の中に生きているのではないかと思うこの頃です。 

素描に埋めつくされた日記

現在、通勤時間に読んでいる「ある日の彫刻家」(酒井忠康著 未知谷刊)に、風変わりな章がありました。私が尊敬する彫刻家で既に逝去された若林奮に関する論考ですが、「素描に埋めつくされた日記」という題名がつけられていました。冒頭に「画面のなかに5月12日から22日までのことを細かいペン字でぎっしりと書かれた日記が埋め尽くされている。素描と一体になっているのである。」とありました。若林氏が若い頃、工業高校の講師を勤めていた時代に書いたもので、美術準備室(本人は研究室と呼んでいる)で授業の合間に綴っていた文章のようです。私も学生時代にノートに文章を書いていた記憶があります。それは人に見せるものではなく、今となっては気恥ずかしい内面の吐露であって、造園業をやっていた亡父が植木の枝を作業場で燃していた時に、高校時代に描いていた多くのデッサンと一緒に日記も燃やしてしまいました。過去の清算がないと先に進めないと当時の私が考えていたからでしたが、工房に出入りしている若いアーティストが小さな文字で日記を綴っているのを見て、自分と重ね合わせていました。彼女はそのノートを分解して糸で繋ぎ留め、自身の展示作品として展覧会に出していたので驚きました。若林氏の素描と一体になった日記も、こんなふうに公開されることが念頭にあったのでしょうか。現在私が毎日書いているNOTE(ブログ)はホームページにアップすることを前提にやっていて、密かなメモとは違います。それに比べて表題にした「素描に埋めつくされた日記」は微妙なニュアンスが漂う文面です。その中で気に留まったコトバ(若林メモ)を書き出してみます。「彫刻はその作った結果は、一銭にもならない事が多い。注文される以外、全てそうなのであるが、作る時、金をかけ様と思えば、いくらでもかけられるし、又かけない様にすれば、ただでも作れる。それをつくらすのは情熱であろう。昔から彫刻などやる者は貧乏ときまっていた。結果としてそうなるのかと思ったが、今は、貧乏でなければ、出来ない事であると考えをかえた。金がある人間はこんな事をやってはいけないのだ。ここで金があるというのは、もちろん、生活の経済的な安定を意味する。彼等は、それぞれの社会に適した小さな経済機構の中で精一杯、金をあつめ、長生をする事を考えてればよい。腹のへった彫刻家は、せめて、それをつくる事によって自分の考えをまとめ、あるいは何の役にもたたないかもしれない美を自分の手にいれるのだ。」

3月RECORDは「萌芽の風景」

植物の芽が息吹き出すテーマは、今までも幾度となく扱ってきました。今回のテーマは「風景」というコトバをつけることで、以前作ったものとは違う意識を持ってイメージ出来るのかなぁと思っています。RECORDは毎日1点ずつ作っているので、季節感に左右されるところが大きいのですが、通勤途中で眺めている満開の紅白の梅を見て、萌芽というコトバが浮かびました。そのうち桜の開花がやってきます。古木に花が咲き乱れている情景は、何と美しいことかとつくづく感じています。年度末の多忙時期になっても、まだ自分には花を愛でる心の余裕があることが嬉しいと思っています。植物は人の鑑賞に関わらず、生命の循環として花を咲かせているため、通常気づかない場所に楚々と咲いていたりします。そんな情景を見るにつけ、つい感情移入してしまうのは、自分の詩心が成せる業だろうなぁと思っています。そんな些細な動機であっても、RECORDのテーマは象徴性に傾いたり、抽象性を追求してしまうことがあるので、当初のイメージを離れてしまうことがあります。それでも今月は「萌芽の風景」というテーマでやっていきます。毎日1点ずつ作っていくことがRECORDのスタンスですが、3月は下書きだけになってしまっていて、まだ1点も仕上がっていません。鉛筆でざっくり描いた下書きが食卓に積み上がっていくのを見ているのは辛いものがあります。RECORDはそんな強迫観念がいつも付き纏っていますが、日によってはガンガン進む意欲的な日もあって、感情にムラがあることを私は認めざるを得ません。

「フォルムと色の統一性に関する困難さ」について

「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)は、実際のカンディンスキーの作品を思い浮かべながら読むと、理解が容易になります。本書は現象学的な視点で書かれた部分も多く、本来は基礎的なものでも論理を積み重ねるうちに、難解な箇所が散見され、理解に苦しむ展開もありますが、基本的にはカンディンスキーが提唱した理論に立ち返る場面があるので、本書の主張するところは何とか読み解けます。本章の「フォルムと色の統一性に関する困難さ」についてもカンディンスキーが提唱したコンポジションの概念が頭にあれば、本章の言わんとするところが分かります。まず描くとは何かという問いかけが冒頭に出てきました。「描くとは、ある色によってあるフォルムをおおいつくすことである。両者が理論的に同じ基調色に結びついているときでさえも、両者を重ねあわせることは、その基調色をかなり変化させるし、それをめだたせ強調して、新たな音色を生み出す。芸術が創造的なのは、そこのところである。」さらにフォルムと色の統一性に関する理論が続きます。最終的にはコンポジションに辿り着くわけですが、それは次章に譲るとして、本章はこんな一文で締め括られていました。「われわれが専念していたのは、諸要素を、より正確には諸要素がもともとの組み合わせー点/基礎平面、直線/曲線、黄/三角形、青/円などーの中で形成している複合的・客観的・情念的な諸統一性をひとつひとつ考察することであったのだから、そうした分析が一体となって構築する有機的な全体性であり絵画そのものにほかならない有機的な全体性であるコンポジションに、まだ向かいあっていたわけではない。」と書かれていました。この文章はコンポジションへの導入と解釈してもいいのでしょうか。この流れでいくと、次章はコンポジションの概念に触れていくようです。

映画「小さな独裁者」雑感

昨晩、常連になっている横浜のミニシアターにドイツ、フランス、ポーランド合作の映画「小さな独裁者」を観に行きました。これはドイツ人兵士ヴァリー・ヘロルトの実話に基づいた物語で、図録によると「1945年4月、敗色濃厚のドイツでは戦いに疲弊した兵士たちによる軍規違反が相次いでいた。部隊を脱走して無人地帯をさまよう兵士ヘロルトは、道ばたに打ち捨てられた軍用車両の中で軍服を発見。それを身にまとって大尉に成りすました彼は、ヒトラー総統の命令と称する架空の任務をでっち上げるなど言葉巧みな嘘を重ね、道中出会った兵士たちを次々と服従させていく。かくして”ヘロルト親衛隊”のリーダーとなった若き脱走兵は、強大な権力の快楽に酔いしれるかのように傲慢な振る舞いをエスカレートさせ、ついにはおぞましい大量殺人へと暴走し始める…。」とありました。映画で描き出されるのはヘロルトと彼に従う人物たちの思惑が生み出す共犯関係の中で、権力に対する決して単純ではない関係性が、この映画の大きな主張にもなっているところかなぁと思いました。巧妙な嘘を重ねていくヘロルトにドキドキしながら映画に見入っていた私は、途中から彼に感情移入が出来なくなってしまいました。例え発端は偽りの事象でも、イデオロギーに突き動かされることが失われると、私の心は一気に自身のバランスを取り戻し、映画の後半にある傍若無人な振る舞いと享楽がどんなものであるのかを理解するに至りました。尋常ならざる権力とは何か、思想統制を図りつつあるのであれば、やがて他者の人権を蔑ろにした画一的な社会へ舵をとることも現代社会ではあり得ます。そんな危険な世相をこの映画では訴えているのではないかと感じた次第です。

週末 3月の制作&映画鑑賞

今日は朝から雨が降っていました。春は雨が降るたび木々が芽吹き、工房周辺の植木畑にも自然の彩を添えていきます。三寒四温とはよく言ったもので、昨日までの暖かさは長く続かず、今日は暖房がなくてはいられないほど寒い一日になりました。朝から工房で制作三昧でしたが、真冬の寒さと異なり、早春の寒さも結構身体に応えるものがあって、ストーブの傍を離れられなくなります。新作の陶彫部品は全体計画で言うと95%が終わっていて、残り3個が出来れば完成になります。今日はそのうち2個の成形を行いました。彫り込み加飾は次回ですが、順調にいけば来週で終わります。ただし何度も言っているように陶彫は焼成が済んで漸く終了となるので、しっかり出来上がるのは今月末になるでしょう。今日も午前9時から午後4時までの7時間を工房で過ごしました。昨日と違い7時間が短く感じたのは、昨日のような疲労が少なかったおかげかもしれません。夕方は家内を誘って、常連になっている横浜のミニシアターに出かけました。今月は美術館よりも映画館に多く行くようになるかなぁと思っています。今晩観た映画はドイツ、フランス、ポーランド合作の「小さな独裁者」で、全編ドイツ語による映画でした。若い脱走兵が逃亡途中で、ナチス将校の軍服を発見し、それを纏ったことで将校として誤解され、そのまま特殊部隊のリーダーとして成り上がっていく物語でした。巧妙な嘘を重ね、総統からの指令だと偽り続け、やがて脱走兵収容所で残虐な処刑を行いました。ここにはナチスの戦争映画に登場するユダヤ人が出てきません。同国人たちが殺しあう場面ばかりなのです。軍服がもつ威厳と揺れ動く心理状態の狭間で、本作は主人公の不可思議な輪郭をそのまま観客に委ねているように感じました。何が彼を尋常ならざるところに追い詰めていくのか、そのストレスを紛らわせる享楽も描いていて、これは戦争映画というより人間の心理描写を中心に据えた映画ではないかと思いました。仮面は時に本物より本物らしく振舞わせる装置となって、アイデンティティーを操る結果になるとも考えられます。詳しい感想は後日改めさせていただきます。

3月最初の週末

春めいた気候になり、工房での制作もやり易くなりました。今日はウィークディの疲れが残るものの、新作の完成を目指して朝9時から夕方4時間まで通常の7時間を工房で過ごしました。だいぶ暖かくなってきましたが、それでも朝のうちはストーブを焚いていました。作業の内容としては大きめなタタラを数枚用意したり、乾燥した陶彫部品に仕上げや化粧掛けを施したりして、相変わらずの制作工程でしたが、何よりも工房内の空気が柔らかく、解放された気分にさせてくれました。新作はいよいよ大詰めになり、今月は組立作業に入ろうかと思っています。そのためのボルトナットや修整剤が必要になってきます。新作のタイトルも考えなければなりません。併行してやや小さめのテーブル彫刻を作っていこうと考えています。テーブルには砂マチエールを貼り付けて、接合する陶彫部品との調和を図っていくのが私の常套手段です。テーブルの柱になる木彫をしなければならず、こうして仕事を羅列していくと、やるべきことがいっぱいあって、気分的に焦りを感じます。今月はどこまで出来るでしょうか。陶彫による集合彫刻は、部分を作っている時には焦りはありませんが、全体構成を考えるような段階になると、あれもこれもやらねばならない仕事が見えてきて、ゆっくりしている暇はないなぁと思ってしまいます。例年のことなので格別驚くことではありませんが、これからが大変な時期になると予想できます。職場は職場で年度末を迎えて気忙しくなり、工房は工房で創作活動が佳境を迎えて一気に熱を帯びてきます。今月最初の週末で、先を見通し、まず何からやるべきか、ひとつずつ足元を固めていくようにしたいと思っています。明日は成形を頑張ろうと思います。

多忙が懸念される3月に…

多忙が懸念される3月になりました。何といっても年度末です。ウィークディの仕事は今年度のまとめとして、全職員と面接をして、来年度人事の素案を考えなければならず、気忙しさはピークに達します。仕事に対する思いは人それぞれで、適材適所を見定めながら、まずは働きやすく個人の能力が最大限に発揮できる職場を目指していくつもりです。創作活動は組織ではなく、私個人が進めるものですが、自分で活動時間を決め、仕事の段取りを決めています。出来るだけシステマティックに制作が出来るといいなぁと思っています。さしずめ今月は大きな新作の完成を目標にしています。やや小さめのテーブル彫刻も始めたいと思っています。今月の後半に年度末休業が取れる機会があるのですが、仕事が立て込むため休みが取れるかどうか微妙なところです。鑑賞も制作工程の間隙をぬって美術館や映画館に足を運びたいと思っています。昨年は一日年休を取得して埼玉県川越に遊びに行きました。今年はそんな余裕があるのでしょうか。一番心配なのは一日1点ずつ制作をしているRECORDで、ウィークディの仕事や週末の陶彫制作に精気を奪われて、下書きだけの山積みが一向に減りません。遅い時間帯にRECORDを作るため食卓に向かっていると睡魔が襲ってきます。このNOTE(ブログ)を書く時間も眠気との闘いです。「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」とあるのは清少納言の枕草子の冒頭のコトバですが、この季節はコトバ通りぼんやりとしたパステルカラーの空気感の中で、いつまでも眠気がとれないイメージがあります。うつらうつらした中で読書もやっていきたいと思います。

2月を振り返って…

2月は28日間しかない短い1ヵ月で、今日が最終日です。2月の後半は朝夕寒さが緩んで凌ぎやすくなりました。毎朝の起床や出勤が気温上昇に伴って楽になり、その分私は花粉症に悩まされています。朝起きると鼻がむず痒いのが気になりますが、ひと頃前より花粉症は緩和してきました。これは加齢によって身体の全器官が緩んできたのかなぁと些か自嘲的に思っています。さて、2月を振り返ってみると、新作の陶彫制作を頑張っていたにもかかわらず、陶彫部品が全て完成しなかった点が残念でした。やや小さめのテーブル彫刻には手もつけられずにいて、欲張った制作目標は自分の首を絞めることにもなると実感しました。それでも来月もやはり上向きの制作目標になってしまいそうなのは否めません。鑑賞は充実していました。美術展では「顔真卿」展(東京国立博物館)、「奇想の系譜展」(東京都美術館)、「河鍋暁斎」展(サントリー美術館)、「竹内浩一の世界」展(郷さくら美術館)の4つ、映画鑑賞では「ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪」、「私は、マリア・カラス」(全てシネマジャック&ベティ)で2本ともドキュメンタリー映画でした。週末は母の用事で税理士や不動産会社の人が自宅に来たりしていましたが、それでもこれだけ鑑賞の機会を持てたのは良かったのかなぁと振り返っています。RECORDは山積みされた下書きの解消にはならず、毎晩苦しんでいます。読書は美術評論家の現代彫刻に関する随想を読み始めました。通勤の友として気楽に楽しく読んでいます。もう一冊、職場にカンディンスキーに纏わる抽象絵画論が置いてあって、これにも時折目を通しています。まずまずの2月の成果だったと思っていますが、満足できなかった部分は来月で何とかしたいと考えています。

暁斎「惺々狂斎画帖」連作について

先日に見に行ったサントリー美術館で開催中の「河鍋暁斎」展では、狩野派絵師として研鑽を積んだ暁斎の珠玉の名品も数多く出品されていましたが、私の関心はやはり戯画にあって、現代のアニメのような劇的な動きのある画帖が、心から楽しいと感じました。表題の「惺々狂斎画帖」は、(一)から(三)まであって、その小さな世界に魅了されました。図録の解説によると、これは日本橋の小間物問屋の主人のために暁斎が描いた肉筆画の連作で、大蛇や化猫が登場する場面が何とも可笑しくて、奇想天外な物語を想像してしまうのです。これは暁斎の描く他の俯瞰図にも言えますが、さまざまなポーズをとる人物が、時に劇画的で極端な仕草をしているために、絵の主題を強く印象づける効果を生んでいると、私は認識しています。図録によると小間物問屋がつぶれた時に、そこに暁斎の絵が200枚もあったそうで、良い値で捌けたと書いてありました。また、江戸情緒あふれる画題は、「江戸名所図絵」に登場する武蔵の地名の由来や浅草寺草創にまつわる伝説や梅若伝説、秋色桜の話、飛鳥山の花見など庶民の遊びを、暁斎らしい工夫を加えて描いていると解説にありました。河鍋暁斎は日本よりも海外で有名になった画家ですが、成程こういう画題であれば、外国人が絵を競って手に入れたのもよく分かります。現代の私たちもグローバルな視点を持つに至ったので、暁斎ワールドが本当に面白いと感じるのです。今では世界に発信するほどになった優秀な日本のアニメですが、その根源には暁斎の世界があるのではないかと私は思っています。北斎漫画にも暁斎の世界と同じ感覚を持ちました。その時代の絵師の片鱗に触れて、自分の創作活動を鼓舞したいと考えているところです。

六本木の「河鍋暁斎」展

先日、六本木にあるサントリー美術館で開催中の「河鍋暁斎」展に行ってきました。副題に「その手に描けぬものなし」とあって、河鍋暁斎の画力の凄まじさを改めて認識しました。江戸から明治の激動の時期を絵師として生きた河鍋暁斎は、幽霊やら魑魅魍魎が登場する戯画ばかり描いていると、当初私は捉えていましたが、今までの暁斎の展覧会を見るにつけ、本格的な狩野派絵師であることを再確認した経緯があります。しかも「その手に描けぬものなし」という実力を見て、北斎に匹敵するのではないかと思ったほどでした。今回の展覧会では初めて見る作品があって、その場を離れ難い鑑賞になりました。図録には弟子であった建築家コンドルの文章がありました。「(暁斎は)忍耐強く自然を観察し、また古人の作で価値あるものをことごとく敬虔な態度で模写した人であったが、その作品にはつねに独創性と天稟の才が横溢していた…彼はその独立不羈の性格と何でも描ける多才な技量により、免状ばかりで精神を伝えぬ一流派の束縛を長く免れることができた…彼は自ら構成した活気溢れる絵画の世界を一絵師として孤独に生き、古き巨匠の偉大なる魂を友としたが、今やその霊と相接しているのである。」(池田芙美著のコンドル訳文抜粋)暁斎は鍛錬を重ねた絵師だったようで、展示されていた画帖にその跡が見られました。暁斎の曾孫が書いた文章も図録にあったので引用いたします。「本展には、河鍋家に伝わった画帖や画巻を初めて出品した。私が幼い頃から目にしていたもので、暁斎が懐に入れて日々持ち歩き、興味深い古画や意匠を見つけるたびに描き留めたと思われる私の好きな縮図帳や縮図画巻である。それらを見て育った私にとっては、暁斎とは常に学習し、研鑽し、努力を惜しまぬ絵師に思えた。小山正太郎も暁斎を『一本熱い奴をつけて来れば、何でも描いて遣る。と、大胡坐をかきながら座敷の真中に陣取った所などは、実に威風辺りを払うのが概であった。併し酒気の醒めた時は、極めて細心な所があって、故人の粉本などの随分細かいものを写したりして居た。(後略)』と、粉本を緻密に熱心に学習したと述べている。」(河鍋楠美著)暁斎の画帖に関しては別稿を改めたいと思います。

上野の「奇想の系譜展」

先日、東京の4つの美術展を巡った時、私が一番身近に感じた展覧会は、東京都美術館で開催中の「奇想の系譜展」でした。嘗て読んだ美術史家辻惟雄氏による著作「奇想の系譜」は、日本美術史に斬新な視点を与え、それによって江戸絵画が抜群に面白くなったことで、現在の「日本美術ブーム」を作り出したと私は思っています。最近の伊藤若冲の人気ぶりは大変なもので、都美術館の前で長蛇の列になって何時間も待った記憶が甦ります。その著作に登場する画家たちの作品を集めた展覧会となれば、私は必見と決めていました。図録によると今回取り上げた画家は8人になると書かれていました。「岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳ー六人の画家をとりあげたこの『奇想の系譜』は、以後の江戸時代絵画史研究、日本美術史研究に対して、決定的な影響を与えた。そして、本展はこの六人に加えて、近年とみにその再評価の機運が著しい白隠慧鶴、鈴木其一の二人を加えて企画したものである。」という日本画家8人衆は、私が中高の美術科の授業で習った覚えがない画家たちで、社会人になってから漸く知り得た摩訶不思議な世界観をもつ画家たちでした。大学生になった時には、私の頭の中は欧米からやってきた前衛運動が中心で、我が国の美術を振り返ることもなく過ごしていました。象徴主義や抽象絵画は西欧の専売特許ではなく、まさに足元にありと思ったほど我が国の奇想の画家たちは、私に豊かなイメージを与えてくれました。縄文土器の時もそうですが、誰かが新しい視点を与えてくれると、見過ごしていたものが現代に甦り、ハッとすることが多くあります。図録にこんな箇所もありました。「結論めいたことを言えば、『奇想の系譜』という本は”時限爆弾”だったのだと思う。辻氏が導火線に火をつけた1970年代から、それに注目する若い研究者たちが地道な調査を続けることによって、その火を絶やさぬようにしっかりと受け継いでいった。そして21世紀に至って、ようやく導火線から爆弾本体に火が届いて、現在の『若冲ブーム』『江戸絵画ブーム』『日本美術ブーム』が現出したのだと思う。」(引用は全て山下裕二著)これから爆破が連鎖し、次から次へと面白い世界観を有する作品が登場してくることを切に願っています。 

週末 今月最後の制作日

今日は朝から工房に行って制作三昧になりました。気温が少しずつ緩んできて作業がやりやすくなりました。2月の週末が今日で終わります。大きな新作は若干の陶彫部品が間に合わず、完成は来月に持ち越しになりました。午前9時から午後4時までの7時間が週末の定番の制作時間です。焦らず、休まずというコトバを念仏のように唱えて作業を続けていますが、ひと頃前に比べると集中力が長続きしません。小刻みに集中して作業を継続している感じがしています。何年やっても巧みに作れないのは、自分が不器用のせいですが、それが効を奏し、彫刻に彫刻たる魂が宿ると学生時代に師匠に言われたことがあります。陶彫制作も20年以上もやっていて、なかなか思うようなカタチにならなくて困ってしまう時があります。彫刻におけるイメージの優位は自分にとって都合の良いものなのです。これが技巧を必要とする工芸ならば、自分は立ち行かなくなります。今日の陶彫成形もやや変形していたので苦労しました。ひょっとして割れるかもしれないという陶特有の強迫観念があって、心安らかな制作は今までも皆無です。今日も乾燥していた陶彫部品に仕上げをして化粧掛けを施して窯に入れました。焼成はいつも祈るような気持ちになります。人の手が及ばない世界は、面白いとは思うけれども、反面落ち着かない心の状態になります。今回は随分窯を使っているなぁと思えるのは、請求される電気代で分かります。昨年以上に電気代がかかっているのです。ひとつひとつの陶彫部品が大きいせいかもしれず、新作はせいぜい2個しか窯に入らないのです。今日の夕方窯に入れると水曜日に窯の蓋を開けられます。日常の風景になっていますが、毎朝出勤前に温度を確認しています。電気代を払う時にあまりにも多額なためコンビニの店員に驚かれることもあります。

週末 母の不動産管理&陶彫制作

2月最後の週末になりました。新作の大きな陶彫作品は、数個の陶彫部品を作り上げれば完成が見えてきますが、どうやら今月中に完成は無理なようで、来月に持ち越しになります。その他の制作途中にあるテーブル彫刻も来月から始めようと思っています。とは言え、来月は年度末を迎えてウィークディの仕事が立て込むのが予想されるため、創作活動がどの程度まで進むのか不安です。今週も自分が担当する横浜市のある部署の会計処理をしたり、書類の整理が始まっていて、今年度のまとめをしている最中なのです。私は再任用管理職なので、その都度まとめをして次の管理職に速やかに引継ぎが出来るように準備しているのです。そういう意味で3月は多忙を極めます。来年度人事もいよいよ始まり、職場では出会いと別れが待っています。職場の詳しいことはここでは書けませんが、管理職を何年やっていても、この時期はシンドいなぁと思っています。今日の午前中は工房に行かず、母の所有している不動産の管理会社の人が自宅にやって来ました。2年に一度の更新で、私が母の代理を務めました。母が全部私に任せてくれているので、私が代筆して書類を作成しました。土曜日はウィークディの仕事の疲れがあって陶彫制作が捗らないので、ちょうどいい骨休めになりました。午後は工房に出かけました。工房の建っている植木畑には、さまざまな花が咲いていて、春が確実にやってきている気配を感じます。自宅から数分のところにある工房ですが、植木畑の中を歩いていると木々の息吹を感じ、気持ちも制作に向かう気構えが出来て、この移動の数分は私にとって貴重な時間です。自宅から少し離れた場所に仕事場を持っている幸せを噛み締めながら、毎週末に歩いています。午後から4時間程度の作業でしたが、40キロの土練りを行い、大きなタタラを数枚作りました。明日の成形の準備です。明日は朝から工房に篭ろうと思っています。

彫刻家父子の往復書簡を思い出す

現在、通勤時間に読んでいる「ある日の彫刻家」(酒井忠康著 未知谷刊)に、彫刻家保田龍門・春彦による父子の往復書簡の章が出てきて、嘗て羨望の眼差しで読んだ「往復書簡」を思い出しました。私は武蔵野美術大学出版局に問い合わせをして、同書をここから郵送してもらったのでしたが、自分の職場に置いておいて、仕事の合間を縫って読んでいたのでした。これはどのような書簡なのか、本書から引用すると、「一人の若き青年が、明治以来、何世紀にもわたって引きずってきた『西洋コンプレックス』の呪縛に対して、いかにその呪縛に苦しみ、そして悩み、跳ね返そうと努力したかを具体的な体験を介して、この書簡は語っている。同時にそれは、いわゆる『洋行者』とよばれてきた日本人の父子二代にわたる貴重で珍しい記録にもなっている。」とありました。保田春彦先生に直接指導を受けたことがなかった私は、大学で先生にすれ違う度に身が引き締まる空気を感じ取っていました。私は雲の上の人という感覚を保田先生に感じていましたが、この書簡では私自身が滞欧生活で体験した悩みと同じような悩みを、保田先生が持っていたことに半ば驚きつつ、また父の保田龍門によって精神的な支援があったことは羨ましい一言に尽きるなぁと思っています。本書ではこんな箇所もありました。「わたし(著者)はいわゆる世間的な通用を価値の秤とする考えに傾かない保田さんが、妥協を許すかゆるさないかの生活の現実に直面して、思案に暮れ、同時にそれは作家としての自分の立ち位置を確認する作業ともなっていたのではないかと思った。」作家(彫刻家)として生涯を全うしたいと考える上で、食べていかなければならない現実に触れ、思索を含めた芸術活動を進めるためにはどうしたらよいのか、どこで折り合いを付けるのか、この道を選んだ人は全員が直面する課題です。私も已むを得ない状況の中、横浜市の公務員になり、二足の草鞋生活がスタートしました。彫刻家保田龍門・春彦による往復書簡は、そんな世知辛い問題も垣間見せる一方で、崇高な文学作品のようにも思えます。現在は父子とも他界し、貴重な書簡だけが残されていますが、さまざまな美術館に所蔵されている保田先生の作品を見ながら、書簡の内容を思い出すと、作家が作品にかけた思いに浸れて感慨一入になります。繰り返し述べさせていただきますが、彫刻家父子の往復書簡に対し、私には羨望しかないことを断っておきます。

HPに18’RECORD1月~3月をアップ

RECORDは一日1点ずつポストカード大の平面作品を作っている総称を言い、文字通り自分にとっては日々創作しているRECORD(記録)なのです。2007年から毎日欠かさず制作していて、11年目を迎えています。私はコツコツ継続していくのが得意ですが、当初こんなに長く続くとは思いもせず、そうであれば生涯を賭けてRECORDをやっていこうと決めている次第です。陶彫制作と違い、体力を要しないので自分が老境に差しかかっても出来るのではないか、現在の母の年齢(90代)までやれれば、1万点以上の作品が手元に残るはずと思って、ここはひとつ頑張ってみようと思っているところです。RECORDが始まった2007年に、1年間分を額装して横浜の市民ギャラリーに展示したことがありました。額装があまりにも大変だったので、それ以降はホームページで発表しています。カメラマンが1年間分を一日かけて撮影し、画像を随時アップしていきますが、そこにコトバを添えています。コトバを紡ぐのは学生時代からの自分の憧れで、どんなに拙くても試みたいと考えている表現方法なのです。今回2018年の1月から3月までのRECORDをホームページにアップしました。2018年は月毎にパターンを配置した画面にしていました。1年前の懐かしい作品を振り返っています。私のホームページに入るのは左上にある本サイトをクリックしてください。ホームページの扉にRECORDの表示が出てきますので、そこをクリックすれば今回アップした画像を見ることが出来ます。ご高覧くだされば幸いです。

映画「私は、マリア・カラス」雑感

音楽史に永遠に名を残した不世出のソプラノ歌手マリア・カラス。私は20代でウィーンに住み、国立歌劇場へ足繁く通い、また親戚にテノール歌手がいるという稀有な環境によってオペラの世界が比較的身近でしたが、マリア・カラスの歌姫伝説は当時からよく知っていました。自分がやや遅れた世代だったために、生の歌声を聴いたことがないのが残念でなりません。自分がウィーンにいた1980年代にはカラスは既に他界していました。そんなカラスの生涯を扱ったドキュメンタリーが上映されていることを知って、早速横浜のミニシアターに家内と行きました。一昨晩は勤務終了後のレイトショーでスター街道を歩いた歌姫のドキュメントを堪能しました。噂ばかり先行していたカラスの生きざまを、本人の音声によって初めて実態を知り、稀有な才能を背負った大歌手でも不安や焦燥に慄いている場面に、身近な存在として親しみが湧きました。それでもカラスの人生はオペラそのもののようで、喝采と醜聞に明け暮れていたようです。図録にこんな箇所がありました。「オペラは、悲劇で綴る哲学。オペラ歌手として、人間の悲哀をこそ情感たっぷりに歌いあげる天賦の才能を与えられた女は、単純な、あっけらかんとした人生を生きることは許されなかった。~略~まさしく社交界の花形でありながら、純粋な愛に生きた椿姫のようでもあり、禁断の恋に落ちつつも、恋人の裏切りにあう巫女ノルマのようでもあり、また愛する人をけなげに待ち続けるも、夫と思っていた人が、他の女性と結婚していた事実に苦しみもがく蝶々夫人のようでもある。」(齋藤薫著)一緒に行った家内は、カラスの眼力が凄かったと感想を漏らしていましたが、カラスの容姿も舞台に映え、演技力もなかなかで、もう少し長く生きていれば女優としても頂点に登りつめていたかもしれません。享年53歳、短命だったと思っているのは私だけではないはずです。

中目黒の「竹内浩一の世界」展

先日、4つの博物館や美術館を巡った日がありました。その日の最後に辿り着いたのが、郷さくら美術館で開催中の「竹内浩一の世界」展でした。東京中目黒にある同美術館に、私は初めてお邪魔しました。郷さくら美術館は、桜の名所である目黒川のほとりに2012年に開館した美術館で、桜をテーマにした日本画を収集しているようで、2階の常設展示室には、桜を初めとする自然豊かで穏やかな画風の絵画が多く展示されていました。ここはちょっとした癒しの空間になっているように感じました。絵画を鑑賞するのには手ごろな大きさの空間だなぁと思いながら、作品を見て回りました。京都画壇で活躍する日本画家竹内浩一氏の作品は1階と3階に分かれて展示してありました。資料によると竹内氏は現在77歳で、独学で日本画を学んだ人のようです。全5作の連作からなる「鳥獣戯画」シリーズを中心とした展覧会でしたが、写実的に丁寧に描かれた数々の動物たちを取り巻く世界は、その繊細な筆致をもって微妙な空気をも表現していて、清涼な雰囲気に溢れていました。私は日本画壇に疎いので、今回初めて目にした作品群でしたが、竹内氏はとても人気のある画家らしく大勢の鑑賞者が訪れていました。作家の書いた言葉によれば、30代半ばで台北故宮博物院で見た水墨画や花鳥画に触発されて、もう一度本質を問い直し、「自然の息づきを捉え自らの生命を感じられるように努めた。」とありました。写実はモノを写すだけではないと悟るのは至高を求めんとする画家の一途な思いではないかと私も思います。そうした思いで描かれた連作に、多くの鑑賞者は惹きつけられるのだろうと思います。

上野の「顔真卿」展

先日、東京上野にある東京国立博物館で開催中の「顔真卿」展に行ってきました。この展覧会の売りである「祭姪文稿」を見るために70分の待ち時間があり、私は多くの鑑賞者の狭間からこの作品を垣間見てきました。途中乱れた筆跡や書き直した部分があって、中国の歴史に疎い自分にはこの作品の価値を理解できずにいましたが、図録を読んで漸くこの作品の持つ重要さが分かりました。鑑賞者は中国から来た人たちが多くいて、この「祭姪文稿」を見るためにわざわざ日本にやってきたことを、この時になって知りました。私は今まで書展をしっかり見たことがありません。どうしても造形美術に目が移ってしまうのです。台北の故宮博物院を訪れた時も、書の展示は見飛ばしていました。今回は殷時代の甲骨文から始まり、秦の始皇帝が確立した篆書、その篆書を簡略化した隷書、さらに草書、行書と進み、現在でも標準になっている楷書と、それぞれの時代の書体の変遷が見られて興味を持ちました。それでは顔真卿とはいかなる人物なのか、活躍したのは唐の時代で、図録には「王朝の危急存亡に身を挺して奮闘し、終生にわたって皇帝の権威を護持するために尽力した」とありました。生まれは現在の山東省で、顔家は代々名家であり、学問を重んじていたようです。顔真卿が生きた唐の時代は「栄華を極めた王朝が一転して衰退に向かう時代」だったようで、それでも顔真卿は安史の乱で唐軍の勝利に貢献しました。ただし、「朝廷の腐敗や統治者の矛盾は唐軍の戦機を奪い」と図録にあるように顔真卿の人生は紆余曲折を繰り返し、左遷も余儀なくされたようです。ここで顔真卿の書について図録から拾います。「顔真卿はあえて隷書や篆書に見られる復古的な筆法を八世紀後半の楷書に盛り込み、『顔法』と呼ばれる特異な筆法を創出したのである。血なまぐさい安史の乱での体験、権謀術数が渦巻く朝廷での政争と、度重なる地方での左遷を経て、顔真卿の楷書は民間に行われていた書法をも取り込みながら、成熟の色合いを濃くしていく。」さら話題の「祭姪文稿」とはどんなものなのか、図録の解説を引用いたします。「祭姪文稿は、五十歳の顔真卿が、安史の乱で非業の死をとげた若き顔孝明を悼んだ祭文の草稿である。書き出しの数行は冷静を保っているが、書き進むにつれて感情が昂って行はうねり、各所に現れる訂正の痕跡が生々しい。この二百三十五文字の祭文で、顔真卿はあるいは文字を誤って訂正し、あるいは脱字をした箇所が、十六にも及んでいる。」(図録引用は全て富田淳氏の文章)